写真・図版(1枚目)| 『鬼滅の刃』上弦の鬼・童磨はなぜ女性を“喰う”ことを「救済」と呼ぶのか? ただのサイコパスではない“教祖の鬼”が抱える虚無
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【※以下の内容には、既刊のコミックスおよび劇場版のネタバレが含まれます。】

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 18日に公開された映画「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第1章・猗窩座再来」が異次元の盛り上がりをみせている。興行収入、動員数ともに邦画史の記録をぬりかえた「無限列車編」を超える勢いだ。今回の映画は「蟲柱・胡蝶しのぶ vs上弦の弐・童磨」の対戦からはじまる。童磨は“新興宗教の教祖”という顔も持つが、映画では彼の考える「救済」についても語られる。だがそれは信者たちを“喰う”という理解しがたいものだった。彼が語る「救済」の理論について、新刊「鬼滅月想譚:『鬼滅の刃』無限城編の宿命論」(朝日新聞出版)を著した植朗子氏が分析する。

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恐ろしい鬼?優しい教祖?

 上弦の弐・童磨は、ふつうの人間とは異なる美しい相貌をした「教祖の鬼」である。無惨によって鬼化させられた後も、人間時代と変わらず「新興宗教・万世極楽教」の教団において、信者たちを「救済し高みへと導いている」(16巻・第141話)のだと言う。そして実際に、信者たちから絶大な信頼を得ているようなのだ。

可哀想だったので いつも話を合わせてあげてたなあ
神の声なんて 一度も聞こえなかった
(童磨/16巻・第142話「蟲柱・胡蝶しのぶ」)

 神の声を聞くことができる “フリ”をする童磨。しかし、これはあくまでも信者や自身の父母の願望に合わせただけなのだと言う。「相手のためにつく嘘」を巧みに操り、信者たちをコントロールしながら、彼らの心を癒してやる……ここに教祖として童磨が考える「救済」の原点がある。

胡蝶しのぶとの舌戦

 童磨との戦闘が始まる直前、しのぶは童磨に喰われかけていた若い女性信者を救おうとした。しかし、彼女はしのぶの目の前で殺されてしまう。

信者の皆と幸せになるのが俺の努め
その子も残さず奇麗に喰べるよ
(童磨/16巻・第141話「仇」)

 死の恐怖に怯えながら亡くなっていった女性信者のことを思って、しのぶは思わず怒りをにじませる。それを童磨は受け流した。

しのぶ「……皆の幸せ? 惚けたことを この人は嫌がって助けを求めていた」
童磨 「だから救ってあげただろ?」
(胡蝶しのぶ・童磨/16巻・第141話「仇」)

 童磨は「死にたくない」という意志をはっきり見せている信者を“喰う”。そしてそれを「救済」だと言い張る。一体、どういう理屈なのだろうか。

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