「ドラゴンクエスト」略して「ドラクエ」。と聞いた途端、頭の中でパーパ・パンパンパンパン・パンパーン……という音楽が鳴りだす。シリーズIからIIIまでは私もハマったな。30年も前の話だが、ドラクエはその後も進化し、2016年までに10作を数える。
さやわか(←著者名です)『文学としてのドラゴンクエスト』はこのゲームソフトを、ゲーム作家・堀井雄二の物語作品として読み解いた異色の評論だ。
〈その物語は、日本人のものの見方に確実に影響を与えてきました〉と著者はいう。〈多くの日本人は「勇者」がかっこよく剣を振るい、必殺技のような魔法を繰り出して「魔王」と戦うようなファンタジー作品を平凡なものとして眺めてい〉るが、〈そういうファンタジー観というのは、80年代前半、つまりドラクエが成立するまではありませんでした〉。
興味深いのは、ドラクエと村上春樹作品を比較した部分だろう。学生運動が去った後、同じ大学に同時期にいた二人が、後にヒット作を生んだのは偶然だったのか。
社会現象にもなった『ドラクエIII』が発売されたのは1988年。村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が出版されたのは85年。ドラクエと村上作品は「ナマの現実」を描かない点で共通するが、とりわけこの2作は物語の構造がよく似ている。〈フィクションで現実を描くことなどできない〉と理解していた彼らは〈現実とは全く違う世界観や主人公像を堂々と提示して、だけどそういうものになぜか生々しさを感じてしまうというスタイルで作品を作った〉。
日本人もその頃、旧来の文学と決別し、〈いかにもフィクションらしいフィクションに感情移入したり、あるいはまるで寓話のように現実の問題を感じ取ったりしたいと考えるようになった〉。
思いつきはいいんだけど、分析がやや甘いのが残念。と考えるのは私がIV以降をプレイしていないせい? みんなが「ドラクエ頭」で暮らしていると思うと、いろいろ腑に落ちるところは多い。
※週刊朝日 2016年2月3日号