社宅から通った県立三池高校へも、寄った。テニス部で使ったコートは位置が変わっていたが、軟式用と硬式用が2面ずつ、計4面は変わっていない気がした。学校に聞くと、いま生徒は全校で約500人。当時は1学年に500人いたが、人口減の写しだ。

 翌朝、大牟田市の西、有明海寄りにある石炭産業科学館を観にいった。入館して炭鉱の歴史を示すコーナーへいくと、説明がすらすらと出る。

「これが、うちの源です。これだけの製品があり、石炭を乾留し、コークスやガスにして、そこからできる製品がいかに幅広かったか」

 大牟田市で5年弱、勤務した。科学館がある地には、その間の98年12月まで、石炭関連のテーマパークがあった。市と福岡県、三井系企業が出資し、89年に第三セクターを設立。貯炭場の跡地に遊園地や水族館などをつくり、大牟田工業所の人事課長だった95年7月に開園した。

 だが、集客力に乏しく、3年余りで約60億円の負債を抱えて閉鎖する。出資企業の代表として、その後処理を託された。出資企業へ賠償していると、近くに商業施設ができて、帝京大学が市内にある福岡医療技術学部に看護師・放射線技師を養成する2学科を開設する、と発表。市は用地を無償で提供、いま跡地に大学と石炭産業科学館がある。

 2014年4月、社長に就任。故郷の大牟田市で勤務してから20年、バブル崩壊、リーマンショック、原料の原油価格の高騰と、何度も逆風が吹き、再建役が回ってきた。でも、常に「みんなのため、地域のために」という父から生まれた『源流』からの流れは、勢いも幅も失わず、立て直しができた。父と過ごした街を再訪して、そう頷く。

 次世代に、三井化学の歴史を継いでほしい。バブル崩壊を経験した「リストラ世代」の経営層は、攻めより守りが上手かもしれない。でも、石炭産業に出ていったように、リスクがあっても攻めは避けられない。『源流』は次世代から湧く水で、攻めも呼ぶだろう。そう、期待している。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2025年7月28日号

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