この大煙突の前で思い出す一つは、やはり炭鉱の閉山だ。従業員の再就職で、走り回った日々。やれるだけやったと、父に報告はできる(写真:山中蔵人)
この大煙突の前で思い出す一つは、やはり炭鉱の閉山だ。従業員の再就職で、走り回った日々。やれるだけやったと、父に報告はできる(写真:山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年7月28日号では、前号に引き続き三井化学・淡輪敏会長が登場し、「源流」である福岡県大牟田市を訪れた。

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 寡黙だが、何かいけないことをすると厳しく叱った父。そんなとき、泣いていると、好きな菓子をこっそり渡してくれて「お父さんは、あなたのことを思って言っているのよ」と諭す母。そんな両親の役割分担は、昭和の時代が終わり、世紀が変わったころから、あまりみなくなった。

 代わりに、我が子が「わがまま」なことを言っても叱るどころか、抱き上げて「何がしたいの」と笑顔を向ける父を、よくみかける。「甘い」と、批判したいのではない。怖くても、自分に害意など微塵もないことは、小さな子どもにも分かる。その厳しさのなかに、社会規範や行動基準を教えてくれていたことも、成長していくなかで気づく。

 そんな役割も父母で分担すればいいが、父がそれを全く失ってしまったら、寂しいと言うよりも、気がかりだ。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

近くで初めてみた蒸気を放出する31メートルの大煙突

 6月上旬、福岡県大牟田市を、連載の企画で一緒に訪ねた。同市にある宮浦石炭記念公園へ車が近づくと、車窓から煙突がみえる。高さ31.2メートル、直径が根元で4.3メートル、てっぺんで2.9メートル。三池炭鉱宮浦坑の大煙突だ。

 地下で掘った石炭は坑口近くへ運ばれ、巻き上げ機で地上へ上げられる。巻き上げ機の動力源は蒸気で、大量に焚いた熱湯の蒸気などを放出するのが、大煙突だった。

「煙突にはきたことがあるけど、こんなに近くで見上げたのは初めてだ」

 大牟田市との縁は、深い。父は三池炭鉱の技師で、北隣の柳川市の社宅にいた1951年10月に生まれた。母は元教諭の専業主婦で、2歳上の兄と4人家族。父に職位が付いてか、3歳のときに職場へ近い大牟田市の社宅へ引っ越し、小学校へ入って高校を出るまで過ごす。

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