この対決は、運命によって導かれたと言わざるをえない。彼らの不運な邂逅(かいこう)は「血の匂い」からはじまった。迷宮のような無限城に〝落とされた〞しのぶが、血の匂いに気づき引き戸を開くと、10人以上の女性信者たちの遺体が横たわる血溜まりの中央に童磨がいた。しのぶは、鬼に殺された姉・カナエの言葉を思い出した。

頭から

血をかぶったような鬼だった

にこにこと屈託なく笑う

穏やかに優しく喋る

(胡蝶カナエ/16巻・第141話「仇」)

 カナエの言葉のままの鬼がそこにいた。童磨の口元は血で染まり、手には喰いかけの女の片腕を掴んだままだった。恐怖に震えて「助けて…!!」と叫ぶ、生き残りの若い女性信者を救うため、しのぶは彼女を抱きかかえたが、童磨はあっけなくその女を切り刻んだ。

俺は〝万世極楽教〟の教祖なんだ

信者の皆と幸せになるのが俺の務め

その子も残さず奇麗に喰べるよ

(童磨/16巻・第141話「仇」)

 ここから童磨としのぶとの間で、噛み合わない会話がくり広げられる。双方ともに口調こそ穏やかであるが、次第にしのぶは怒りを抑えられなくなる。

しのぶ「……皆の幸せ? 惚(ほう)けたことを この人は嫌がって助けを求めていた」

童磨 「だから救ってあげただろ?」

(胡蝶しのぶ・童磨/16巻・第141話「仇」)

 童磨は言葉を続ける。

誰もが皆 死ぬのを怖がるから

だから俺が食べてあげてる

俺と共に生きていくんだ

永遠の時を

俺は信者たちの想いを 血を 肉を

しっかりと受け止めて

救済し

高みへと導いている

(童磨/16巻・第141話「仇」)

 童磨がくり返し口にしたのは、「残さず喰べる」「奇麗に喰べる」「ちゃんと喰べる」「喰べてあげる」という言葉である。これらの行為は、万世極楽教の教祖として童磨が人間にもたらしうる〝尊い救済〞なのだと主張した。

死んだら無になるだけ

何も感じなくなるだけ

心臓が止まり 脳も止まり 腐って土に還るだけ

生き物である以上 須すべからくそうなる

こんな単純なことも受け入れられないんだね

頭が悪いとつらいよね

(童磨/16巻・第142話「蟲柱・胡蝶しのぶ」)

 童磨の根底にあるのは、どんな苦しみも死が終わらせてくれる、という思想である。これは彼の死生観であり、万世極楽教の宗教的教義として実践される。童磨による〝救済=人喰い〞の理論は、「半永久的な寿命を持つ鬼」と「短い寿命しか持たない人間」の一体化を指している。

 しかし、問題点は彼は死にたくない人も殺し、鬼の餌となることを望まぬ人まで喰うことだ。その事実を人々の目から〝隠す〞ことによって、この万世極楽教の真理が完成するのだとしたら、それは何を救うためのものなのか。正しき救済ならば、なぜそれを信者に伝えようとしないのか。それが最上の救いなのだと、なぜ説明することができないのか。

 少なくとも童磨は、信者たちに死を与えることについて、事前に皆に意思確認をしている様子はない。鬼である自分に喰われることが「救済」であることについて、殺害直前まで隠している。

 憂鬱も悲嘆も苦痛も恐怖も、これらすべてを呑み込みうる〝終焉〞を人々が礼賛するのであれば、童磨は死がもたらしうる「苦痛の停止」をささやく御使(みつかい)なのだろう。ただ、そこは喜びも楽しみもない「無」に包まれた世界だ。

 死の恐怖への共感の欠落は、「感情の欠落」に起因する。そのようにもたらされる死は、ごく一部の人の願いを叶えるのかもしれないが、宗教的救済としてそれを肯定することはできない。

 しのぶは人喰いを美化する童磨の考えを「本当に吐き気がする」と強く否定した。人を救うために鬼を殺す鬼殺隊のしのぶと、人を殺すことを「救済」と呼ぶ童磨との間には、理解し合うことのできない深い溝が横たわる。救い、この一点においてすら、しのぶと童磨の思考は交わらない。

童磨 「可哀想に 何かつらいことがあったんだね… 聞いてあげよう 話してごらん」

しのぶ「つらいも何もあるものか 私の姉を殺したのはお前だな?」

(胡蝶しのぶ・童磨/ 16 巻・第141話「仇」)

 これまでにない怒りの形相で、しのぶは童磨の左目を日輪刀で突いた。ここから彼らの過酷な死闘が本格的に始まった。

《新刊『鬼滅月想譚 ――「鬼滅の刃」無限城戦の宿命論』の第4章には、胡蝶しのぶが童磨にとって“特別な人”になった要因についても詳述している》

鬼滅月想譚 『鬼滅の刃』無限城戦の宿命論
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