
SNSを駆使した「ポピュリズム政治」の弊害が叫ばれて久しいが、それを最も巧みに、良くも悪くも“活用”しているのは、政治団体「NHK党」の党首・立花孝志氏だろう。だが、立花氏が駆使する危うい手法はオリジナルではない。第二次安倍政権下で兆候が現れた「自制心を失った政治」から連綿と続いてきた帰結なのである。(この記事は、朝日新聞取材班『「言った者勝ち」社会 ポピュリズムとSNS民意に政治はどう向き合うか』(朝日新書)の一部を再編集したものです)
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SNSは「公共性」が成立する前提を最初から破壊している。その意味で、想起されるのは政治団体「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首である。一連の兵庫県知事をめぐる問題で、2025年1月、前県議の竹内英明氏が死亡したことを受け、立花氏はSNSに、竹内氏について「県警からの継続的な任意の取り調べを受けていました」「明日逮捕される予定だったそうです」などと虚偽の投稿をした。県警本部長は県議会で「(竹内氏を)被疑者として任意の調べをしたこともなく、ましてや逮捕するといった話はない」として立花氏の投稿内容を全否定。立花氏は一部の投稿を削除し、謝罪する考えを示したが、「竹内県議に対して何か申し訳ないなとかっていう感情は正直ない」とも述べた。
こうした一連の問題を考える際、前掲した米ハーバード大学のスティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット両教授が記した『民主主義の死に方』に触れざるを得ない。両教授は、民主主義は憲法が定める諸制度があるからといって、それだけで守られるものではなく、競い合う政党が、互いをライバルとして受け入れる「相互的寛容」と、政治家が権力を行使する際に節度をわきまえる「組織的自制心」が必要と説く。法律の文言には違反しないものの、明らかにその精神に反する行為を避けようとする政治規範こそが、民主主義を支える「柔らかいガードレール」となると主張した。
日本での出版が2018年9月だった同書は第1次トランプ政権を念頭に書かれたものでトランプ大統領の独裁的政治手法を批判的に論じたものだが、立花氏にもピタリと当てはまる。立花氏からは、ライバルを受け入れる寛容さも、節度をわきまえる自制心も感じられず、柔らかいガードレールを破壊しているようにしか見えない。寛容さがない立花氏は、政治的ライバルだと見すえれば、SNSで徹底的に攻撃するよう支持者に訴える。そして、公職選挙法で明示的に禁止されていないからとして、選挙でのポスター掲示の権利を販売したり、自らが出馬した選挙で他の候補に投票するよう訴えたりする。
立花氏は「でたらめを言う人」で、彼の言動からは「真なることを伝えるべし」という建前はみじんも感じられず、真実を検証するゲームの土俵に乗っていない。