第2次安倍政権下で現れた兆候

 寛容さや自制心の大切さが失われていく兆候は、立花氏の登場以前の第2次安倍政権下でもすでにみられた。

 レビツキー、ジブラット両教授は「相互的寛容が薄れると、政治家は制度的な権限をできるかぎり利用したほうがいいと考えやすくなる」とみる。ライバルを受け入れる寛容さが双方にあれば、負けることは政治的プロセスの中の日常的かつ当たり前の一部に過ぎないのだが、相互的寛容が薄れた状態になれば、負けることは大失敗になるため、政治家は自制心を放棄したくなる。そうやってどちらかが強硬手段に頼ると、相互的な寛容はさらに失われ、ライバルが危険な脅威であるという信念が強まり、ガードレールのない政治が生まれる……というわけだ。

 安倍晋三氏はライバルを厳しく叩く政治家だった。国会論戦では「事実上論破をさせていただいたと思っている」と答弁し、「論破」という言葉を使った。広辞苑に「議論して他人の説を破ること。言い負かすこと」とあるように、相手をやり込めるニュアンスがある。国会の議事録によると、「論破」を口にした戦後の歴代首相は安倍氏だけだ。また、東京都議選の街頭演説で、聴衆からヤジを飛ばされれば「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放った。一方、安倍氏に対峙する野党側の対応について「安倍氏なら何を批判しても構わない、と野党は思っているのでは」と感じる国民も少なくなかった。与野党双方から相互的寛容は失われていたようにも見えた。

 安倍政権では権力者としての自制心も失われていた。レビツキー、ジブラット両教授は組織的自制心について「法律の文言には違反しないものの、明らかにその精神に反する行為を避けようとすること」と言い換えられると指摘する。自制心の規範が強い環境下にいる政治家は、厳密には合法であっても、制度上の特権を目いっぱい利用しないという。既存の政治システムが崩壊しかねないからだ。

こちらの記事もおすすめ 斎藤元彦はなぜ再選されたのか 「情報の空白」期、立花孝志参戦後に起こっていたこと
[AERA最新号はこちら]