『やさしいがつづかない』の著者、哲学者の稲垣諭さん
『やさしいがつづかない』の著者、哲学者の稲垣諭さん

 拙著『やさしいがつづかない』が伝えている、やさしいということは、相手に完全に自分のコントロール権を委ねながら、その責任は全部取るということですから、実はとても恐ろしいことでもあります。

 やさしいは、自分の身を切る勇気のいる行為なのです(だから大変です。でもだからこそ、その行為はときに多くの人の心を打つものとなるのです)。

 あなたが時間をかけて選んだプレゼントをパートナーに渡したのに、相手があまり喜んでくれず、がっかりした気持ちになることがあるかもしれません。自分のやさしさが無下にされたようで腹立たしくも感じることでしょう。
 

相手の反応に不満を抱いたとしたら

 ここにも実は、コントロールの問題が関係しています。プレゼントを買うためのあなたの時間や出費は、自分のコントロール権を相手のことを思って手放し、委ねた、あなたのまぎれもなくやさしい行為です。

 ただし、プレゼントを相手に渡した後も、コントロールは手放しつづけなければなりません。それはすなわち、相手がそのプレゼントを受けてどう思い、それをどう扱おうと、そのすべてをあなたの責任として引き受ける必要があるということです。

 それなのに、期待した反応が得られなかったとあなたが不満を抱くということは、結局、相手が自分の想定内の反応をするようプレゼントを利用してその人をコントロールしたかったからに他なりません。

 むしろこういう場面でこそ、パートナーの反応がどうして悪かったのだろうと、その責任を自分で引き受けることができると、それは「やさしい」行為になります。「気に入らなかったなら、今度はどういうものを選べばいいかな?」と尋ねたり、「今度は買う前に相談するよ」と伝えてもよかったのだと思います。

 お年寄りに席を譲ったり、寒そうなので服を相手にかけてあげたりということは、一時的にではあれ、自分がもつ場所や物のコントロール権を手放すということです。誰かを手助けするということは、相手にとって一番いいように自分を、あるいは自分の物や、自分の時間を使ってもらうことです。

 しかもこのことは、相手のコントロール権を侵害しないことと表裏をなしています。

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