
メディアアートの体現者として
軍服風の衣装に身を包んだ「サムライ」(1978)、スタジオに雨を降らせた「LOVE 抱きしめたい」(1978)、口からウイスキーを吹き出した「カサブランカ・ダンディ」(1979)、電飾の衣装でパラシュートを背負った「TOKIO」(1980)……家庭にカラーテレビが普及した1970年代にあって、毎日のように音楽番組やバラエティー番組で奇抜な衣装や演出を披露する沢田はまさにメディアアートの体現者だった。
これは衣装デザインやアートディレクションを手がけた早川タケジに負うところが大きいが、ともあれ沢田を見てファッションやサブカルチャー、音楽に興味を持ったという人は業界にわんさといる。特に初期のヴィジュアル系ミュージシャンには沢田に影響を受けたことを公言する人が多い。男がメイクをして着飾ることが異端だった時代に、それを「かっこいい」と世間に納得させた沢田の文化的功績は計り知れない。
挙げればまだまだきりがないのだが、これだけの金字塔を打ち立てたミュージシャンが現役で、しかも往時に劣らぬパフォーマンスを披露しているというのはとんでもないことだ。「裸にならなきゃ 始まらない ショーの始まりさ」(「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」)ではないが、近年は無理な若作りをせず、演出も最低限に、等身大のいちロックンローラーとして新境地を拓いている沢田研二。その道の先にはどんなさらなるミラクルが待っているのか期待したい。(中将タカノリ)
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