6月25日に77歳の誕生日を迎えた沢田研二。ライブツアー中でジュリーはいまも全国をかけめぐる
6月25日に77歳の誕生日を迎えた沢田研二。ライブツアー中でジュリーはいまも全国をかけめぐる
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 6月25日に77歳の誕生日を迎えた沢田研二。1971年に「君をのせて」でソロデビューし、半世紀以上にわたる歌手活動で世に送り出してきた楽曲は500を超える。そんな数多ある曲の中でも、80~85年の楽曲が「一番面白い」と人気音楽評論家のスージー鈴木さんは言う。この時期にフォーカスし、沢田研二を紐解くと、唯一無二の存在が改めて浮かび上がるという。スージーさんに話を聞いた。

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 喜寿を迎えた沢田研二は、現在、「沢田研二LIVE 2025『霜柱と蝋梅の森』」と題したライブツアーの真っただ中。8月には佐賀、大阪、京都、福島、そして、埼玉・大宮ソニックシティを控えている。ライブのチケットは毎年入手が困難で、衰えることのない人気に驚かされる。

 最近よく地上波で放送される、昭和の歌謡曲を特集した番組でも「沢田研二」は人気だ。そんな番組で紹介される沢田研二が歌う曲は、「勝手にしやがれ」といった超有名曲。77年の第19回日本レコード大賞を受賞した名曲のひとつだが、「沢田研二の音楽を聴く 1980―1985」(日刊現代刊)の著者のスージーさんは、80~85年の沢田研二の楽曲に着目する。

「最近、『懐かしの歌謡曲特番』が多いですが、そこで紹介されるのは沢田研二の70年代後半の曲。75年の『時の過ぎゆくままに』だったり、77年「勝手にしやがれ」だったりで、せいぜい、80年とか『TOKIO』どまり。そういった特番では、沢田研二は70年代後半だけで語られるんですよね」

「TOKIO」以降の大衆性と実験性の両立

 スージーさんは、「そこだけで切り取られるのはもったいない」と力説する。80年1月1日リリース「TOKIO」以降、80~85年の楽曲には大衆性と実験性を両立した名曲だらけだからだ。

「もちろん、私も同時代に沢田研二の70年代後半の人気曲を聞いてきたんですけれども、80年代後半、自分が大学生になり大人になってから、過去にさかのぼって80~85年の沢田研二の楽曲を聞き直した結果、そのときが一番面白いと思うようになりました。私の本の中では“実験性”という言葉で表現し、一応は歌謡曲の枠組みの曲ではありつつ、かなり先進的なことをやっているんですよね」

 スージー鈴木さんが大学生になり上京したのは86年。中古レコード店に入り浸り、聴くのは主に洋楽だったが、日本の楽曲では細野晴臣、大滝詠一、松本隆、鈴木茂によって結成された「はっぴいえんど」などを好んでいたという。そんなスージーさんが沢田研二の音源をたどっていくと「80~85年は、いわゆるロックだし、ニューウェーブだし、そして歌謡曲でもある。そんな融合、つまり“実験性”と“大衆性”の両立をやっていたんだ……」と驚かされるという。

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