土産に持ち帰った「田ゼリ」。田んぼ的には雑草だがめっちゃ美味しいので一石二鳥!(写真/本人提供)
土産に持ち帰った「田ゼリ」。田んぼ的には雑草だがめっちゃ美味しいので一石二鳥!(写真/本人提供)

 ここまで続けているのはもちろん理由があって、だって全てが最高なんですよ! 何よりハマったのが、泥んこにズボズボ足を突っ込むこと。それは田植えでもしなきゃ間違いなく死ぬまで体験しなかったことで、最初に恐る恐る一歩を踏み出した時は思わず「やややっ」と叫んだね。だって、そんな類いの楽しさってものがこの世にあることすら知らなかった感覚が一気にやってきたのだがら。大地に柔らかく足が埋まる不思議な安定感、転ばぬよう足裏の感覚に集中する瞑想感、オトナが泥だらけになってもいいじゃんという超自由な気持ち……。

 そして、自分が絶対必要な食べものを自分で育てることそのものが、誰にも奪われない鉄板の財産である。むろん99%は農家さんが育てているんだが、1%でも絡んでいるだけで物事に動じなくなった。昔の人が言ったように「米と味噌さえあれば生きていける」のであり、すなわち田んぼや農家と繋がっているということは、何があっても生きていけると信じられること、イコール人生が明るくなるということなのである。

 かくして、春に私が田植えを手伝い、秋に友人がコメを届けてくれるのが我らの10年続く定期便。どう考えても私の方がトクしているが、いずれにせよ労働したらコメが来るというのは実に着実な取引で、インフレもコメ不足も関係なし。ますます不安定な世界を元気に生きていくには、お金以外の生きる手段はめちゃくちゃ大事。

AERA 2025年6月30日号

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