コンサートの会場となったNHKホール。この時、中では生演奏が行われて、時間が押して、時々、「帰りの新幹線が間に合わなくなる」と途中で早足で出てくる客もいた(撮影:上田耕司)

 中山さんは東京・原宿でスカウトされて芸能界入り。85年にドラマ「毎度おさわがせします」のオーディションで主演女優に選ばれた。同年、「C」で歌手デビューも果たすと「ミポリン」の愛称で親しまれ、トップアイドルに上り詰めた。

「美穂はファンを大事にしていたから」

 12歳の中山さんを原宿でスカウトしたのは、所属事務所ビッグアップルの創業社長・山中則男さんだ。6月20日、著書「中山美穂『C』からの物語」(青志社)を発売する。 

「私の生い立ちから全部、遺書のつもりで書いたんです。中山美穂のデビュー曲は『C』なんですが、途中で『C』の作曲家を替えたというエピソードも入れました。だけど、彼女のスキャンダルは1行も書いてありませんから(笑)。私の自宅の固定電話が置いてある下のダンボール箱から、85年当時のスケジュールを書いたセピア色のノートが出てきたんですよ。『毎度お騒がせします 打ち上げ』とか、『ハワイへ行った』『グアムへ行った』とか美穂のことが全部、細かく書かれていました。その貴重なノートのことも書きましたよ」 

 話を聞いたのはNHKホールでのライブ前日だった。

「美穂の大阪の親衛隊だった人が、18日のNHKホールでのライブに夜行バスでやって来るというんですよ。早朝に東京に来るというから、『それから、どこにいるんだ』と聞いたら、『喫茶店で時間をつぶす』と言うから、『オレのうちに来いよ』と。美穂はファンを大事にしていたから、昔の親衛隊もこうやって、慕ってくれるんですよ。美穂のおかげで、全国各地に知り合いができました。本当にありがたい」 

 冒頭のキーホルダーの交換で、会場前で待っていた女性からは「待っていた人に会えました」というメッセージが来た。

 前出の千葉市から来た女性は、この日のライブのチケットを見せてくれた。9800円(税込み)だったと言いながらも、「最初は過去の映像と美穂ちゃんのいない生演奏だけかと思って来たんですが、きょうはサプライズもあったし、お金じゃ買えない価値があった」

(AERA編集部・上田耕司)

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