巣箱の内部を手早く確認してまわる。野生生物の観察には時間がかかり、忍耐力が必要だが、子どもの頃からこういうことはまったく苦にならなかったという(写真/関口達朗)

 桐朋中学で、鈴木は生涯の友人たちと出会う。鈴木の代が加わるまで部員は3人だけ、しかもそのうち2人が幽霊部員という生物部に入ったのである。当時の部長は脇谷量子郎(りょうしろう)(東京大学大気海洋研究所・特任准教授/43)。中高一貫校なので普通は高校2年生が務める部長を中2で務めていた脇谷と、鈴木の同期である真言宗の僧侶・野口宥智(ゆうち・41)との会食に同席した。脇谷はウナギの専門家だし、野口も大学の学部時代は魚を専攻した上に、日本に千種いるというカミキリムシのことならなんでも知っており、話は自ずと専門的になって白熱した。彼らの思い出話を聴いているうちに、自由に自分たちで考え、主体的に行動していた中高時代が浮かび上がってきた。

 昆虫採集や魚捕りのためなら泊まりがけでどんどん出かけていく。生物部にうるさい先輩はおらず教師の介入もほぼない。行き先も日程も活動内容も自分たちで決めた。中学生だけの水辺や山中への旅。親は心配しなかったのかと思うが、「よく考えたら言われたことはない気がする」(野口)、「親がどう考えていたかなんて、気にしたことが今の今までなかった」(脇谷)、「今の時代がさ、過保護になってるんだよ」(鈴木)と屈託がない。

「大丈夫だと思ってましたし、万一何かあったらそれはそれで仕方ないと考えていました」(幸代)

 おそらく彼らは中学生の好奇心を持ち続けたまま大人になることができたのだ。ちなみに10名の仲間のうち4名が研究者となった。

「人間だけ見ているよりもいろんな生き物と接したほうが人間を客観視できるし、世界の豊かさも見えてくるからいいんですよ」(鈴木)

(文中敬称略)(文・千葉望)

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