まずい。話が「米」から逸れてきた。というか、実はわざと逸らしたのだ。でももう無理だ。

 とにかく、今、何が言いたいかというと猛烈に腹が減っている。

 なぜなら通路を挟んで右隣のおばさんが、仙台から乗り込んできて牛たん弁当の包みを広げ始めたのだ。紐を引っ張ると温かくなるアレだ。

米よ育て。頼むよ

 どうやって引っ張るのか、悪戦苦闘し始めて数分。諦めてそのまま食べようとしている。そりゃないぜ、セニョーラ。冷たいままの牛たん弁当なんて、絶対有り得ない。

 原稿の手を止めて、紐の引っ張り方を教えてあげてもいいですか。それはかなり力を入れないとダメなんだ、おばさん。みなさん、ちょっと待っていて欲しい。

(数分経過)

 なかなか不審がられたが、どうやら私の意図は伝わったようで、おばさんはいま美味しそうに牛たん弁当を食している。「ご丁寧にありがとうございます」と御礼を言うと箸を割った。

 一枚の牛たんと一箸のごはん。

「つまらないものですが、よかったらいかが?」

 それくらいの御礼を差し出されたらどうしようかな? と想像したが、そんなことはある訳もなく、おばさんはいま、南蛮味噌を辛そうに舐めている。

 嗚呼、腹が減った。

 窓の外は田んぼが続く。雨が降り始めた。東京は昨日梅雨入りしたようだ。米よ育て。頼むよ、ホント。

 おばさんが牛たん弁当の容器を捨てに行った。戻ってきてひとつゲップをした。聞こえてないと思ったら大間違いだ。空腹だと人間は敏感になるのだ。寝始めた。実に幸せそうだ。

 人は米を食うと幸せになる。

 また腹が減った。早く米が食いたい。

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