あまりにも仕事がないため、ニャフンケでは日に1度しか食事ができない人がほとんどだ。武装勢力による占領が終わった今も、町の人口は減り続けている。また、ニャフンケの周辺を含むマリ北部では、今も毎日、どこかで襲撃が続いていると聞く。この紛争とそれがもたらす問題は、まだ何も終わっていないと感じていると、彼女は淡々と話してくれた。
ニャフンケが襲撃された時の様子をたずねると、彼女の声色が変わった。
「テロリストは、まず若い女性を連れていきました。彼らは私のもとへもやってきて、お前の夫はどこにいるのかと聞いてきましたが、わからないとしらを切り通しました。その時、夫は銀行にいました。その後、銀行は襲撃されました。警察や軍に何度もたずねましたが、夫の安否は今もわかっていません」
アティヤさんの話を聞いている最中に、1人の男性が食堂に入ってきた。アティヤさんは彼に、当時の様子を私に話すよう促した。その男性は遠くを見ながら語り始めた。
彼の名はアリ・テンメレさん(40歳)。ニャフンケで生まれ育った人だ。ニャフンケがマリ軍によって奪還される際には、銃を持って参戦したといい、肩には撃たれた跡が残っている。
「マリ軍がパラシュートで降下してきてニャフンケの奪還作戦を始めるまでの3カ月間、テロリストはこの町を占領していました。町の外につながる主要な道の出入り口、町の中心部、そして役場と、ニャフンケにとって大切な場所をまず抑えて、占領を開始しました。実によく計算されたやり方でした」
アリさんは話を続けた。
「彼らはまず、女性のレイプから始めました。私の目の前で、友人の妻を犯しました。次に、銀行、警察、裁判所、市場、病院といった主要な施設を次々に壊していきました。学校は、彼らが寝泊まりする場所として占拠されました。さらには、畑を荒らし、井戸を壊し、農機具を破壊し、穀物庫を焼き払い、道や橋を壊しました。むやみやたらに破壊していくのではなく、この社会が機能するために必要なあらゆるものを周到に狙いながら、破壊を続けました。そしてその間、気に入らない人間を、次々に殺していきました」
ここまで話すとアリさんは下を向き、「すべてを話すことは、実につらいことです」と言って、目元を指で拭った。しばらくの間、指でどれだけ拭っても、彼の涙は止まらなかった。
次に話を聞いたのは、役所の所長さんだ。彼は整然と、状況を話してくれた。
「何よりもまず、食料を欲しています。農耕を再び始めようにも、畑と農機具と井戸を壊されたため、自力で復興することができません。テロリストは家畜も奪っていきましたから、牧畜もできない状況です。そして、学校と病院の整備が必要です。勉強に必要な本、鉛筆、紙、机、すべてを失いました。病院でも、あらゆる設備が破壊されています。また、眠る場所の確保も必要です。家屋が壊され、マットレスで寝るしかない人々がたくさんいます。マットレスすらない人は、地面の上で眠っています」
ニャフンケの人口は、どれほど減ったのかをたずねてみた。
「かつては15000人の住人がいましたが、今は7000人強ほど。多くの人が殺されましたが、連れ去られた人も多数いるため、人口減の詳細は、私たちも把握することができずにいます」
役所の真向かいにある学校を訪ねた。校長先生のダド・イルワ・カヤさんが、穏やかな笑みとともに迎え入れてくれた。この困難な状況にあっても、身なりを整えた、凛としたたたずまいが印象的だった。