日本シリーズ開幕を控え、握手するダイエー・王監督(左・当時)と巨人・長嶋監督(当時)=2000年10月20日、東京ドーム

 01年11月11日には立大時代からの親友、南海のエースで南海、ダイエーの監督を務めた杉浦忠が亡くなった。

 12月6日未明には阪神の野村克也監督が、夫人が脱税容疑で逮捕された責任をとって、辞任を発表した。「長嶋茂雄が常に太陽に顔を向けているひまわりなら、自分は月夜にひっそり咲く月見草や」。そう話し続けた終生の「ライバル」の退場だった。

 長嶋、杉浦、野村は同じ学齢である。

「そう、同じ世代の人間がああいう形で亡くなったり、身を引いたりというのはね、感慨がありますね。杉浦は野球人生を目いっぱい生きた男。多彩な趣味を持って、人生をエンジョイした。でも、もう少し自愛していれば、まだまだねえ」

 ここ2カ月の彼の動きを並べてみると、長嶋だけが、時にからめとられないかのような錯覚に陥ることがある。

 11月12日には野球のワールドカップ観戦のために訪れていた台湾で、陳水扁総統と会見した。

「日本と台湾の野球がさらに交流を深めるために力を尽くしたい」

 11月21日、イチローが米大リーグ、ア・リーグのMVPに選ばれ、コメントを求められる。

「期待していましたが、やりましたね。イチロー君は、パワー全盛の時代にスピードと技のすばらしさを日本から持ち込んでくれました」

 12月2日の夕方には、皇居前広場で皇太子ご夫妻の赤ちゃん誕生を祝う集会に出席してあいさつする。

「全国民が待望した瞬間を切に待ち望んでいました。新宮様が健やかにお育ちになることを、祈念申し上げます」

 彼らしい言い回しに、会場を埋めた2万5千人が沸いた。

 11日には、阪神監督就任を要請されていた星野仙一と都内で対談した。

「東の巨人に対し、西の阪神と言われるチームでがんばれ。危機にあるプロ野球界を、もう一度ユニホームを着て救ってほしい。安芸(阪神のキャンプ地)でコーヒーを飲ませてね」

 そして13日には、11日に亡くなった王貞治ダイエー監督の妻恭子の通夜があった。

「世界の王の記録も、一人で達成されたわけでなく、恭子ちゃんがいたからこそ。立派な勝負師の妻として全うされたと思います」

 監督退任後の彼の動きを俯瞰的にみて、僕は長嶋茂雄を誤ってとらえていたことに、やっと気がついた。

 誤解の原因は、以前聞いた印象深い言葉にあった。

「長嶋茂雄をずっとやっていくのも、大変なんですよ」

 そう話した日があった。朝日新聞日曜版で「100人の20世紀」(99年3月14日掲載)を書くためのインタビューだった。

 だから、僕は、次に彼がユニホームを脱ぐのは、長嶋茂雄が長嶋茂雄であることを、一度休もうとする時だと思いこんでいる部分があった。

 そのことを、もう一度聞いてみた。

「長嶋をずっとやっていくのは大変。もちろん、そういう面はあります。ただひたすら、がむしゃらに走ってきましたからねえ。その走りがこの先どうなっていくのか」

 だからこそ、一度、長嶋茂雄を休もうとは、思いませんか?

「のんびりは、できないんじゃないですかね。僕自身の性格がこういう性格ですからね。動きながら自分の人生というものをつかみながら、ずっとやってきてますから、やっぱりじっとしてたら自分の人生というのはジ・エンドでね。何かもう終わりを告げるんじゃないかというのが、一方であるんです」

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