
巨人に即戦力左腕として入団し、日米通算93勝25セーブと活躍した高橋尚成さんは、現役時代に長嶋茂雄監督の下でプレーして2000年の日本一に貢献した。訃報に接し、「ショックです。長嶋さんの体調は気にしていたけど、この日が来てしまったかと。なかなか受け入れられない部分があります」と声を落とした。
高橋さんが社会人・東芝から逆指名で巨人に入団したのは1999年のオフ。長嶋さんの巨人第2次政権就任7年目だった。「東京の下町で育ち、親父は大の長嶋さんファンだった。僕も小さなころから巨人戦をテレビで見てきたし、特別な思いを持つ球団でした」と話す。
1年目の春季キャンプで印象に残っている光景があるという。
「選手は家族をキャンプ地に招待できるんだけど、親父が長嶋さんと写真を撮ってもらって凄くうれしそうな顔をしていた。あの時にちょっと親孝行ができたかなと思いましたね」
このキャンプでは、広島からFAで加入した江藤智に長嶋さんが背番号「33」を譲り、自身の永久欠番だった背番号「3」のユニフォームをいつお披露目するのかが注目された。「長嶋さんがユニフォームの上に着ているジャンパーをいつ脱ぐかを、たくさんのメディアが追いかける。凄い世界だなと思いました」と圧倒された。
新人の年に日本一で長嶋さんを胴上げ
ルーキーイヤーの2000年、高橋さんは開幕から先発ローテーションに定着した。規定投球回数に到達して9勝をマークし、リーグ優勝に貢献。20世紀最後の日本シリーズは、王貞治さん(現ソフトバンク球団会長)が率いるダイエー(現ソフトバンク)との「ON対決」だった。第5戦に先発した高橋さんは日本シリーズ初先発初完封勝利を飾っている。巨人はシリーズを4勝2敗で制して6年ぶりの日本一に輝き、このときが長嶋さんにとって優勝監督として最後の胴上げとなった。
「日本シリーズに4度出場しましたけど、あんなにメディアの人たちが集まってフラッシュをたかれたことはその後になかった。ファンの注目度も凄かったですね。でも緊張はしなくて、長嶋さんに先発を任せてもらえてうれしい思いのほうが強かった。完封した後に、『尚成、よくやったぞ!』って声をかけていただいて。あの時が一番うれしそうでしたね」