東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 自民党の西田昌司参院議員の発言が波紋を呼んでいる。

 議員は5月3日、「ひめゆりの塔」の記述が歴史を歪めているとの趣旨の発言を行った。日本軍が悪者で米軍が解放者のように記されているのはおかしいというのだ。

 沖縄戦の日本軍に問題があったのは周知の事実だ。沖縄は本土決戦の捨て石とされ、多数の住民を巻き込んで時間稼ぎの戦闘が行われた。

 それゆえ県民は西田発言に強く反発した。国会議員からも党派を問わず批判が相次ぎ、9日には撤回と謝罪に追い込まれた。石破茂首相も12日に違和感を表明している。政治的にはこれで決着だろう。

 しかし火種は燻っている。西田氏は沖縄の教育が偏っているとの認識は撤回しなかった。参政党の神谷宗幣代表は10日、西田発言を引用しつつ改めて日本軍を擁護している。

 西田氏や神谷氏の支持者の声を見てみると、沖縄を攻撃したのはあくまでも米軍であり、日本軍は逆に沖縄を守るため戦った、その功績が評価されないのはおかしいとの思いがあるようだ。なるほど大きな構図はそのとおりだ。真摯に戦った現場の兵士もいただろう。

 しかし問題は、そんな功績が無に帰すぐらい日本軍の行動が酷かったことなのである。軍は沖縄という領土は守ったが県民は守らなかった。スパイ容疑で民間人を殺し、集団自決も促した。ひめゆり学徒隊の死者が多かったのも、場当たり的に解散命令を発し学生を戦場に放置したからだ。確かに米軍を解放者と見なすのは転倒している。しかしそう感じてしまうぐらい沖縄の住民は悲惨な経験をしたのだ。そこに思いを馳せずしてなにが保守だろうか。

 加害と被害の関係は単純なものではない。加害者は被害者に良いこともする。被害者が感謝を示すこともある。しかしそれは被害者の苦しみを軽視する理由にはならない。個人間でも集団間でも同じことだ。

 戦前の日本政府はまちがいなく沖縄に酷いことをした。その事実を認め、反省し前に進むことこそが本当の保守であり愛国のはずだ。偽りの過去のうえにつくられた愛国は、結局は脆弱で無力である。

AERA 2025年5月26日号

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