米国で地位を確立(1940年代-1960年代)《女と鳥》1967 着色ブロンズ 200×102×77cm ジュアン・ミロ財団、バルセロナ Fundaciо Joan Mirо, Barcelona.:使われなくなった家具や生活用品、水道の蛇口など、何でも素材にしてオブジェに仕上げた(撮影:山本倫子)

 ちなみに今回やってきたのは、その貴重な〈星座〉シリーズのうちの3点。女性、鳥、星といった記号化されたモチーフは、ここから確立され、ミロの作品にたびたび登場するようになった。

「適当に描き並べているようでいて、実はリズミカルな配置など考えつくされた作品。だから心に響く」と岩田さんも言うように、静まりかえった夜空の下に広がっていただろう戦争という過酷な現実を、詩的に表現したシリーズとなっている。

作品の持つすごみ

 戦後になると、ミロの記号化されたモチーフや、自由な発想が、アメリカで起こったジャクソン・ポロックらの抽象表現主義、アンディー・ウォーホルらのポップアートなど、新しい美術のムーブメントに影響を与えるようになる。

 そして晩年のミロは、4メートルを超える大型の作品を描き続けたほか、絵の一部を焼いた作品「焼かれたカンヴァス2」(1973年)などを発表することで、新たな表現に挑戦し、アートとは何かを世に問い直したことでも知られている。このときすでにミロは80歳。巨匠と呼ばれて久しいときのことだった。

晩年の挑戦(1970年)《花火 I、II、III》1974 アクリル/カンヴァス 各292×195cm:ミロ作品が大型化したのは、1950年代、マジョルカ島に念願だった大きなアトリエを構えたことも大きい。そのアトリエで思い切り絵の具を広げた3連作には、アメリカ抽象表現主義の影響も。写真は展示風景から

 そんなミロの、70年以上に及ぶアーティスト人生を、作品でたどることができるぜいたくなこの展覧会。

「初めて会場で作品を見たとき、言葉では説明できないようなすごさを感じました。本能のセンサーが反応したというか、作品の持つすごみが迫ってきたというか……。しかもそんなすごみは、どの時代も変わらないのがすごいですね」(岩田さん)

 もしミロがいなかったら、アンディー・ウォーホルもキース・ヘリングもバスキアも、それから村上隆もバンクシーもいなかったかもしれないと、聞いたことがある。同じ時代を生きているからこそわかる、アーティストの目を通した時代のさまざまな姿。そんな現代アートの楽しみをくれたミロに感謝して。岩田さんも言う。

「会場で、ミロのパッションを体感してください」

(ライター・福光恵)

ミロ展特設ショップにも、ミロらしい原色多めのグッズが勢ぞろいした。マットボードも用意して、壁にかけて楽しむこともできるポストカードのほか、ミロが手がけたFCバルセロナ75周年ポスターに関連するTシャツやステッカーも(撮影:写真映像部・佐藤創紀)

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