
20世紀を代表する芸術家、ミロの大回顧展が開催中だ。自ら絵も描くアーティストの岩田剛典さんと会場を歩いた。 AERA2025年5月5日-5月12日合併号より。
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「いいですね。何と言っても、どれも同じじゃないところが、すごくいい」
岩田剛典さんがそう語るのは、東京都美術館で空前の大回顧展が開かれているジュアン・ミロのことだ。
ミロは20世紀を代表するスペインの巨匠。子どものような自由な表現と、目が覚めるような鮮やかな色の組み合わせ……そんな無邪気な作品を思い浮かべる人は多いだろう。
それももちろん、ミロの代表的な作風だが、実際はアートが激動した時代のムーブメントをつぎつぎ取り入れながら、自分の作品を変容させていったのが、ミロだった。岩田さんの「全部同じじゃない」という言葉も、ミロの作品が時代とともに「まるで別人が描いたように」(岩田さん)変わっていったことを意味している。
「存命中に売れる画家になっているじゃないですか。本当はミロならではのスタイルを確立していたはずなんですよね。なのに90歳で亡くなるまで、新しいスタイルの作品をリリースし続けた」
そんな作品の前に立ち、岩田さんが感じたというのは、ミロのプライドと負けん気だ。
「僕はこう想像しています。たぶん、毎日のように『自分はこのままでいいのか?』と自問自答していたのではないでしょうか。きっと『昔のミロはよかった』みたいなことを言われるのも許せなかったはず。そこで、作り上げた栄光を守るのではなくて、新しいものをどんどん取り入れて、ずっとアート界の先頭を走り続ける道を選んだ」

そう話す岩田さんも、パフォーマーでありながら、絵を描くほうのアーティストの顔を持つ。今回の展覧会では音声ガイドのナビゲーターもつとめ、ミロの立ち止まらないアーティストとしての生き方に、熱い共感を持つようになった。
たしかに、ミロの生きた90年をたどっていくと、現代美術史の参考書をめくっているかのよう。登場人物も超ゴージャスだ。
1893年、ミロはスペイン・バルセロナの、父も祖父も職人という家に生まれている。幼い頃から絵を描くのが好きで、美術学校にも通ったミロだったが、父の強いすすめで商業学校で会計を学び、卒業後は会計係として働くようになった。
