そんなことを考えていたところ、アエラデジタルでは男性障害者のための性サービスを始めた女性の実体験が原案となった漫画とインタビューが公開されていた。男性障害者向けの性についてはもう何十年も前から語られ続け、マスターベーションの介助などをする団体もあるが、その女性が始めたのは顧客の性的な欲望を聞き出し「プレイ」するというもので、いわゆる「健常者の男性が利用している性サービス」を「障害がある男性も利用できるようにする」というものだった。

 記事を読みながら少し心が重くなる。いったんここでは、障害者を巡る性の現実については深掘りしない。女性障害者の性の現実の過酷さは暴力と切り離せない地獄であることにも、ここでは触れない。そして性を誠実に語ることの重要さを私は信じている。その女性が果敢に発信することに敬意を払いたいとも思う。

 でも、男性障害者のための性風俗の“良き話”で心が少し重たくなるのは、やはり「性サービス」が前提にしている、女性が男性の性を慰撫し射精に導く……という揺るがない前提があるからだろう。男たちが絶対に手放さないその「前提」があったからこそ、この国は長い間公娼制を維持し続け、それが廃止された後もあらゆる性サービスを発展させ続け、男女の性の溝を深めるだけ深めてきたのではないか。言葉を選ばずに言えば、男のためだけのセックスしかない社会。政治経済だけでなく、セックスからも女を排除してきた。そんな社会で、男性障害者の性のために奔走する女性の真摯さが私には重たく感じるのかもしれない。

   セックスレスの話からどんどん重くなるのだが……そもそもセックスレスとは、実はこの社会がひた隠しにしている、だけどどこかで開き直っている、誰も触れたがらない重い現実なのかもしれない。回数の話ではなく、女の不幸の話として。

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