「印象的だったのは、性交渉を、お互いの関係を確かめ合うものではなく、『男の射精をうながすためのもの』と捉えている人が、男性でも女性でも少なからずいたことです」
そんなふうに物理的に捉えていたらセックスが面倒になる、と北村氏は指摘するのだが、その通りだろう。セックス=射精と考えている男性とのセックスなど、忙しい日常を送る妻側からすれば避けたいタスクでしかない。
少し前に女友だちから聞いた話。20代で結婚した夫とはこれまで1000回セックスをしてきた(彼女は今年40代になる)。それでも1000回のうち、楽しいと思ったセックスは10回に満たないという。それこそ射精しか目的としないセックスだったからだ。これはおかしいと感じた彼女は(ここにいたるまでに紆余曲折あるのだが省略)、800回目あたりからいろいろ提案をするようになったという。ただ身体を使われていると感じるようなセックスから脱するために。ところが夫は、彼女の真剣な気持ちを受け取れず、セックス観を変えることができず、自分勝手に挿入し自分勝手に射精するだけのセックスを繰り返した。セックスレスに悩むカップルが多いなか、週に1〜2度は必ずセックスをする夫を「うらやましい」と言う女友だちはいたが、やはり無理がきた。そして1000回を迎えた日に彼女は、「もうこれ以上はセックスをしない」と宣言したのだという。夫は泣いて謝ったというが(←妻一筋のいい人ではある)、彼女はもう身体が拒絶反応しか示さなくなってしまった。そもそもセックスを「回数」で数えているというのも、それが肌を合わせた数ではなく、夫が自分の身体を使ってした射精の数という認識だからだろう。
日本の夫婦の半数はセックスレス。ということは、半数はセックスをしている。それでも、セックス=射精と考えるような男女が多い社会であるとしたら、セックスはしていても、もしかしたらその質は限りなく低く、そして女性にとっては苦しいだけのものなのではないか。今している「夫婦の半数」も、いつかはセックスレスになる人たちなのではないか。