前回のコラムでは、80年代が幕を閉じようとしていたころに発表されたアルバム『オー・マーシー』を紹介した。ダニエル・ラノワの協力を得て仕上げたその作品によってディランはあらためて強い存在感を示したわけだが、当時の動きで忘れられないものの一つとして、トラヴェリング・ウィルベリーズがある。ディラン、ロイ・オービソン、ジョージ・ハリスン、トム・ペティ、ジェフ・リン(ELO)の5人がウィルベリー姓の兄弟という設定の、いわゆる覆面プロジェクトだ。いや、顔を隠してもいないので、究極のファン・プロジェクトといっていいだろう。基本的には5人が対等の関係で関わったこのプロジェクトからは《ハンドル・ウィズ・ケア》のヒットも生まれている。信頼できる友人たちとレコーディングを楽しんだことが『オー・マーシー』の充実ぶりにつながっていたのかもしれない。
しかし、ラノワとの関係は微妙な感じだったようで(ラノワ本人も自叙伝『ソウル・マイニング』でそこでの苦い想いを書いている)、ディランは次のアルバムのプロデューサーとしてドン・ウォズと彼のパートナーだったデイヴィッド・ウォズを起用している(こちらも本当の兄弟ではない)。二人はウォズ(ノット・ウォズ)というバンド名で80年代を通じて活動をつづけ、ドンはボニー・レイットの復活作『ニック・オブ・タイム』をプロデュースしたことにより、新感覚のクリエイターとして注目を集めるようになっていた。
その成果として1990年秋に発表されたアルバム『アンダー・ザ・レッド・スカイ』には、ジョージ・ハリスン、エルトン・ジョン、ブルース・ホーンズビー、デイヴィッド・クロスビー、ジミー&スティーヴィー・レイ・ヴォーン、アル・クーパー、ロベン・フォードらが参加している。もちろん話題を集めはしたが、「ディランらしさ」という面では疑問が残った。タイトル曲に顕著な、一般的な意味での心地いいアレンジに関しては否定的な意見の人も少なくなかったようだ。
まさかその反動ということではなかったと思うが、次の作品、92年秋発表の『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』は、全編、アコースティック・ギターの弾き語りで仕上げられている。ミュージシャンを誰も起用しないのは、4作目『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』以来、37年ぶりのこと。きわめて意欲的、かつ大胆な挑戦といえるだろう。
ただし、このアルバムには自作曲はまったく収められていない。《シッティン・オン・トップ・オブ・ザ・ワールド》、《キャナディ・アイ・オー》などブルース/フォークのトラディショナルが中心で、フォスターの《ハード・タイムズ》も取り上げられていた。ネヴァー・エンディング・ツアーの効果でもあったのか、ギターもヴォーカルも力強く、51歳のディランは堂々と、あらためて彼の歌の原点を示している。
『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』リリース直前の92年10月16日には、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、ボブ・ディランの30周年記念コンサートが行われた。ハリスン、ペティ、ニール・ヤング、エリック・クラプトン、スティーヴィー・ワンダー、ザ・バンド、ロジャー・マッギンらが顔を揃えたこのコンサートと、そこで残された作品は、次回のコラムで紹介したい。[次回11/30(水)更新予定]