《Dancer》2022年:鏡面仕上げを施した大作。これまで公共空間で展示されており、鏡面に映る空間や色の変化まで取り込んで「踊り」を詩的に表現した作品である(撮影:山本倫子)

「今のアメリカは多様性に疲れ出していて、とても迷走しています。たとえば小学校で先生が生徒を怒るにしても、生徒の方が『私はあなたに話さなくてもいい権利がある』なんて弁護士みたいなことを言い出す。一人が個人の権利を尊重しろと言い出すと、今度は『それでは授業が進まないじゃないか』と文句を言う生徒たちが出てくる。そこにマイノリティー優先の問題が絡むとさらに問題は複雑になります。こうなるとコミュニティーが機能しなくなってしまう」

 昨年のアメリカ大統領選挙で、Z世代(90年代半ば以降生まれ)の51%がトランプ大統領に投票したということに、松山は衝撃を受けたという。

「次の世代のために多様性を推進してきたと思っていたのに、彼らはそれにうんざりしてるんですよ。『自分たちが求めているものとは違う』と」

二項対立から離れて

 松山が作品にしばしば取り上げる「騎馬像」も、時代と共に変化してきた存在だ。かつては騎馬民族の象徴として、また、力と権威の象徴として銅像にもされてきた騎馬像。今それは政治的なプロパガンダの悪しき一例として、引き倒される対象となっている。

「100年前のヒーローだった騎馬像は、ポストコロニアルの発想で言うともうヒーローではなくなってしまったわけです。美術館で飾られていた騎馬像の絵画も『こんなものを飾るなんて、植民地主義を擁護するのか』と攻撃され、絵を下げなくてはいけなくなった。そういう主張が極まると、展示できるものは非常に限定的になってしまうでしょう」

 松山はその現実を、アメリカ人ではない自分だから描写したいのだと言う。彼が描く、あるいは立体として構築する騎馬像はポップかつ美しい。そこに見えてくる表現は植民地主義の圧政とは遠く、批判を受けて引き倒されるようなものではない。

「美術は非言語の芸術です。二項対立とされているようなものに対し、実は二つの見方が共存する、あるいは一つに集約されるものかもしれないと提示する。それを僕は作品を介して探究しているつもりです」

 一つを悪、もう一つを善と断じるような単純さに対し、松山は軽やかな皮肉を込めながらも、豊かに広がる作品群を私たちに見せてくれている。(ライター・千葉望)

AERA 2025年4月21日号

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