姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
この記事の写真をすべて見る

 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

*  *  *

 なりふり構わず高関税を乱発する「トランプ・ショック」で世界同時不況にとどまらず、世界恐慌の恐れすら浮上しつつあるようです。経済合理性を無視したトランプ大統領の「関税戦争」は、何を狙い、世界経済をどうしようとしているのでしょうか。

 頭をよぎるのは、レーガノミクスがもたらした「双子の赤字」という言葉です。新冷戦に備えた膨大な軍事支出の増大とそれと並行して行われた減税は、巨額の財政赤字と累積債務の増加をもたらし、米国は貿易赤字と財政赤字の双子の赤字に苦しむことになります。結局、レーガン大統領後の米国は、この構造的な「宿痾(しゅくあ)」から脱却できず、クリントン政権以後の民主党政権下で金融、情報、デジタル、流通を中心とするニュエコノミーで繁栄を取り戻したように見えましたが、それは米国に地域間、階層間の巨大な格差と分断を生み出し、冷戦に勝利しながらも、その内実はボロボロに疲弊したままでした。

 トランプ大統領の掲げる「MAGA」(米国を再び偉大にする)は、貿易赤字と財政赤字を一挙に解消し、戦後世界の「覇者」として再び君臨することを目指しています。「関税戦争」で貿易赤字を解消出来るのか。それは米国経済にインフレをもたらし、結局、スタグフレーションの奈落へと自国経済を追いやるだけかもしれません。しかし、他方で貿易赤字を解消して同時にインフレを抑えながら財政赤字も解消できるかもしれない――こんな思惑がトランプ大統領の念頭にありそうです。そんな「曲芸」が可能かどうかを占うカギのひとつは、FRB(連邦準備制度理事会)がトランプ大統領の思惑通りに低金利政策に打って出るのかどうかにありますが、その間、米国以外の国々の経済は、塗炭の苦境に喘ぐことになるかもしれません。

 いずれにしても、アドホックにトランプ大統領の個別的な「お目こぼし」を乞うような政策では対応できないでしょう。なぜなら、「関税戦争」は、米国の長年の構造的な宿痾を除去しようとする、ラディカルでそれなりの時間の幅で考えられた「ショックドクトリン」(惨事便乗型の政策手法と考え方)に基づいているからです。

AERA 2025年4月21日号

[AERA最新号はこちら]