今年度の谷崎潤一郎賞を受賞した絲山秋子の長篇小説『薄情』は、関東平野の北西端に位置する群馬県高崎市とその周辺が舞台だ。主人公の宇田川静生はこの高崎で生まれ育ち、地元の宮司である伯父の跡を継ぐために國學院大學を卒業して実家に戻り、今は神社を手伝ったりアルバイトに精を出して暮らしている。
30代前半とおぼしき宇田川は、他者との深い関わりを避けて生きてきた。人づきあいが悪いわけではなく、その気になれば、インターネットを介して知りあった女性とセックスだってする。しかし、尾を引くほど熱中することはない。結婚や将来への期待は薄いが、とはいえ人生に絶望しているわけでもない。
〈自分の内側になにかが足りない気は、ずっとしていた〉
それが何だったのか、なくなった今となってはわからない。そんな思いを抱きつつ、東京から移住してきた木工職人の工房に通い、同じように集う人々との会話を楽しむ。それぞれが持ち寄った日常の断片噺のやりとりは決して深入りすることはなく、だから宇田川には快かったのだが、その場所も、あるトラブルを機に変容してしまう。彼には近づけない空間となっていく。
冒頭からつづく宇田川の自問自答はこのあたりから深度を増し、句点のない彼の内省の言葉を読むうちに、こちらもあれこれ考えるようになる。都市と田舎、自由と不自由、大人と子どもなどの境界域に生きる彼の自覚と内省は、実は私にも通じているからだ。
はたして、薄情とは何なのか? 宇田川が辿りついた核心は、読後、すんなりと私の腑に落ちて離れない。
※週刊朝日 2016年11月25日号