
現場を「ヘリコプター」で移動
「中学生日記のときもジュノンのときも、『お祭りに参加させてもらった』という気持ちでした。そこにはもちろん『芸能界に入りたい!』と思って参加している人のほうが多かったと思います。でも自分は『その日を生きている』という感覚でした。僕には『何をやっていようが、まず自分という人間がしっかりしてなきゃいけない』という考えが根底にある。もちろん職業として芸能界でお仕事をやっていたわけですが、それが全てではない。僕の人生は『人間・加藤晴彦』として生きている、その考えはずっと変わらないですね」
ある日はドラマの撮影をしていても、次の日にはまったく違うことをしているかもしれない、そう思って生きてきたという。実際に過去のインタビューでも「将来、芸能以外の仕事もしているかもしれない」とはっきりと答えていた。
「周りの人からは『すごく活躍してるね』とか『たくさん(番組に)出ていいね』と言われていたんですが、僕としては『この世界でめっちゃ売れるぜ!』という感じではなかったので……露出している数や作品の知名度だけで評価されることには戸惑います。ただ、名古屋から来たどこの馬の骨ともわからないような、何も持っていない奴を使って一緒に仕事をしていただいた方には今でも感謝しています。皆さんから預かった責任を、見える場所に持っていくのが僕の仕事です。僕が失敗したらみんなの責任になってしまう。だからそれはそうならないように、常に100%、全力で取り組んでいましたね。もちろん今もそうです」
2021年の「文春オンライン」のインタビューでは、多忙すぎてヘリコプターで移動したというエピソードも明かしていた。改めてたずねてみると「ウソだって言われるんですけど、本当なんですよ」と当時のことを振り返る。
「さいたまスーパーアリーナでテレビ収録が終わり、車で会場を飛び出すと近くの学校の校庭にヘリが待機していて……乗って15分ぐらい、寝ているというより意識をなくしているうちに都内に着いて…『正直、ここまでやるの?』とは思っていました。他にも『どうぶつ奇想天外!』にレギュラー出演していた時、1年に1回三重県の鳥羽水族館で出張収録をしていたんです。収録後、他の出演者・スタッフは打ち上げに行って泊まっていたんですが、僕だけすぐに送迎車に乗り込んで、車内で寝て起きたら朝5時に渋谷に着いて、そこからドラマロケの1日が始まる、みたいな生活でした」