どの地方にも特徴があり、「食」が美味しい。「地域」へ入れば、温かく付き合ってくれる。支店時代に「もう辞めたい」と二度も思ったが最初に大都会の支店でなくて高松でよかった(写真:山中蔵人)

 84年11月、東京の本店営業部へ異動した。全国から腕利きの営業担当が集まる部署へきて、刺激的だった。2年目に従業員組合の支部代表になり、さらに組合専従の役員を務め、90年夏には委員長に選ばれた。

 ここでは、全国の支店で働く「ミディさん」と呼ぶ女性外務員の組合加盟で、苦労する。前号で触れたので詳細は省くが、ミディさんたちが非組合員のままでは支障が多いので、組合大会へ加盟を提案した。でも、本支店の若手社員の多くがベテラン揃いのミディさんを煙たがって反対し、執行部も自分以外は全員、提案の撤回を主張した。

 でも、「正しいと思うことを貫く」という『源流』からの流れは、止まらない。ただ独り諦めず、執行部の面々を説得、大会で可決へこぎ着けた。

商工会議所で並んだ50代の銀行支店長と36歳の若き支店長

『源流Again』の2日目、95年6月から初めて支店長を務めた愛知県豊橋市へもいった。ここで実感したのが、業績を上げるのは課長でもできるが、支店長にしかできないこと、支店長にしか入れない場があり、そこへ入って野村の存在感を上げるのが支店長の仕事だ、との点だ。

 商工会議所の理事になり、金融の課題などを検討する理財部会で、東海銀行(現・三菱UFJ銀行)の支店長が部会長になり、自分は証券界代表として副部会長に並んだときだ。豊橋市は東海銀行が強い地域で、支店長は50代の取締役。自分は36歳の若さで、「野村は豊橋をなめとるのか」とまで言われた。

 そこで、どんなに小さな会合でも、顔を出す。休日は、街のゴミ拾いに参加した。すると、だんだん認めてくれた。「誠意をもって向き合い、正しいと思うことを貫く」という『源流』からの流れが、流域を広げた。

 2012年4月に野村證券の社長となり、8月に親会社の野村ホールディングスの代表執行役グループCEOに就任。5年前にホールディングスの会長になり、3年弱前から務めている経団連副会長として、地方の経済界との交流に力を入れている。豊橋市の後で岡山市や京都市、大阪市でも支店長を経験した蓄積が、『源流』からの流れを全国へと広げていく。(ジャーナリスト・街風隆雄)

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