装置の大きさや上下動のペースは、地層や生産量に合わせてそれぞれ異なり、微妙な調整やメンテナンスが欠かせない。秋田出身の職員や、国内主力施設の一つである南長岡ガス田(新潟県長岡市)などで経験を積んだ技術者が支える。
採取した石油にはガスや水分が含まれ、そのままでは使えない。市内に2カ所ある処理プラントへ送り、セパレーター(分離装置)でガスを分離したり、水分や硫黄分といった不純物も取り除く。さらに比重を利用したり、加熱したりして原油の純度を高めていく。
こうした過程を経て石油元売り会社へ引き渡し、元売り会社が蒸留や精製して商品化。全国へ出荷する流れだ。
「八橋油田で取れる原油の比重は、ドバイやサウジアラビア産の代表的な油種と同程度の『中質原油』にあたります。一般的に、比重が軽い原油ほどガソリンや軽油として使いやすいと言われ、比較的高値で取引されます」(山田さん)
国産とはいえ、値段は国際的な原油価格に左右される。末端の消費者からすると、天然ガスのような経済面のメリットは期待できないようだ。
開発は明治初頭にさかのぼる。旧久保田藩の御用商人、千蒲善五郎氏が見つけたのがきっかけとされ、秋田県内では一番古いという。当時は地表に油が自然とにじみ出てくるほど産油量が多く、坑井を作る必要がなかったほどだ。大正期に第1号の坑井が作られると生産が本格化。1955年前後の産油量は年25万キロリットルを超え、国内最大級の油田となった。最盛期には2千人以上が働き、それまでに採掘のためのやぐらは累計1200本以上も建てられたという。
■開発できるかはセンイチの世界
石油鉱業連盟の資料によれば、いまの産油量は年1万キロリットルを割り込む。だが累計の生産量はなお国内トップクラス。山田さんは言う。
「国内で培った技術は豪州など海外の事業でも生かされています。生産を続けてほしいという地元の要望も強い。可能な限り長く生産が続けられるように、しっかりとメンテナンスを手がけていきたい」