
本場中国では「水餃子」が基本
そこで日本における餃子の歴史を調べてみると、どうやら昔の日本人も餃子だけを食べており、ご飯は付いていなかったようなのだ。戦前の新聞や雑誌に焼き餃子のレシピが紹介されていたことは明らかになっているが、本当に餃子が人気になったのは戦後。中国に住んでいた日本人が現地で餃子を気に入り、敗戦で引き揚げ、往時の味を懐かしんで作ったことが大きいと考えられている。
産経新聞社が発行していた雑誌「サンケイグラフ」の1955(昭和30)年7月3日号に、当時の餃子ブームを報じた興味深い記事が掲載されている。<中国版お好み焼 餃子ブームを解剖する>というタイトルや、記事中の<お隣りの大陸の喰べ物でありながらわれわれにおなじみが薄かつた(編集部注:原文ママ)>という一文などから、読者が餃子にはなじみがないことが前提の記事であるのが分かる。
記事によると1954年9月の時点で都内の餃子専門店は四十数軒だったが、取材時では推定200軒に急増したという。グラフ誌のため渋谷に立ち並ぶ餃子店の活況を写真で紹介しているが、「多くのサラリーマンが押しかける昼食時」「退社後に餃子で酒を飲むサラリーマン」「餃子を喜んで食べる祖母と孫」などの写真は全て餃子しか写っておらず、白いライスは全く確認できない。
栃木県の宇都宮市は餃子が名物だが、これは市内に本部を置いていた旧陸軍の第14師団が満州に駐屯していたことと密接な関係があるとされる。それゆえ、戦前から本場の餃子の味と食べ方を知る人が多かったようだ。宇都宮餃子会で事務局長を務める鈴木章弘さんも「私は餃子とライスを一緒に食べたことはありません」と笑う。
「昔の宇都宮餃子は今よりも皮が厚く、本場中国の“完全食”と全く同じ食べ応えがあったので、まさに主食として認識されていたのかもしれません。変化が訪れたのは昭和40年代で、市内の餃子店が学校帰りに腹をすかせた中高校生たちに餃子だけでなくご飯も出して、とにかくおなかいっぱいになってもらおうと始めたサービスが非常に人気となり、それがだんだんと全国に広まっていったと認識しています」