
ライスと合わせるため餃子の皮も薄くなった
ちなみに神戸の餃子店でも「昭和40年代から餃子にライスの食べ方が広まった」という説が語り継がれているという。また漫画家の黒鉄ヒロシ氏は雑誌「dancyu」の1991年5月号に執筆したコラムの中で、「上京して大学に入って初めて餃子ライスの存在を知った」と振り返っている。黒鉄氏は1945(昭和20)年に高知県で生まれており、上記のエピソードは1964(昭和39)年ごろと考えられる。「昭和40年代」という時期や「学生向けのメニューだった」という鈴木さんの証言と符合する。
ちなみに「焼餃子とライス」が人気のチェーン店「ぎょうざの満洲」は1964年の創業だが、当時のメニューは現存していないという。残っている最古のものは1979(昭和54)年の「ラーメン定食」で、ラーメンと餃子、ライスの3品で520円だった。
日本人が餃子とご飯の組み合わせを好むようになってから、どんどん餃子の皮も薄くなっていったと見る専門家は多い。また中国人は水餃子を黒酢だけでさっぱりと食べるのを好むが、日本ではおかずとしてご飯に合うように味の濃い酢醤油で食べるようになったようだ。
餃子ライスの“誕生”から60年以上が経過しており、その進化は今も続いている。宇都宮市では学校給食で「餃子めし」が提供されており、生徒に人気だという。「餃子めし」とは、餃子から皮をなくし、餃子の餡をご飯と一緒に炊き込んだもの。餃子の味わいを残すため酢を入れているのが特徴で、市教委の担当者は「餃子ライスの魅力は餡とご飯の相性です。それを追求した結果、皮がなくなりました」と胸を張る。
前出のパンさんは「最初は餃子ライスに驚きましたが、今では理にかなった食べ方だと思うようになりました」と言う。
「日本で人気の焼き餃子は、どうしても水餃子に比べると油っこくなります。そのため白いご飯で口の中をさっぱりさせるとおいしいですし、それで食が進むわけです。また中国の餃子の餡と日本の餡を比べると、日本のほうが下味が濃い。これも白いご飯との相性を計算していると考えられます」
日本人が大好きな「餃子ライス」は、時代によって進化してきた食文化の産物だったのだ。
(井荻稔)