
加藤隆志(以下、加藤):全曲リマスターしたんですが、技術もすごく上がっているから、当時よりもいろんな音が聞こえるんですよ。20年前の音は、やっぱりあの頃にしか出せないサウンドをしていて。「あ、この時こんな思いだったな」とか、タイムマシンじゃないですけど、自分たちをひもといていくような作業でしたね。特に“歌モノ”の第1弾となった「めくれたオレンジ」のタイミングで欣ちゃん(茂木)が正式加入して今のメンバーが出揃った。あの頃の思いがすべてここに全部詰まっていて、自分でもグッとくるものがありました。普段あんまり過去は振り返らないんですけど、今この順番で聴けたのはすごくいい機会になったと思う。
――そもそもメンバーが作曲、谷中の作詞でゲストボーカルを迎える“歌モノ”に挑戦するきっかけは何だったのか。
“歌モノ”三部作の成功
谷中:スカパラとしてはいろんな時代がありました。インストバンドとしてスタートして、ライブで1曲2曲メンバーが歌う曲もできて、それを「ボーカル」と言うと怒って「“におい”って書け」と言っていた面白いメンバーもいた(笑)。クリーンヘッド・ギムラっていうんですけどね。でもそのメンバーも亡くなって。バンドとしては様々に大変なことがありつつ、それでも立ち止まらずに続けていく中で、2000年頃にヨーロッパツアーをやったんです。ほぼ毎日のように雪の中を移動して小さなライブハウスを回るような過酷なツアーでした。まさに今のメンバー、ドラム・茂木欣一、ギター・加藤隆志が加わって回り切った後に、いろんなことに再挑戦したくなったんです。
ナーゴ:修行のように大変だったぶん、全員が叩き鍛えられて切れ味のいい刃物のように仕上がった感覚があった。今なら自信を持ってもう一歩前に進めるんじゃないかなって。まぁ、そうせざるを得なかった時期でもあったんですけどね。
谷中:もう一度ボーカルものを始めようか、コラボレーションもやってみようか、じゃあ田島貴男を呼ぼうって。当時、俺は携帯電話で詩を書いてみんなに送るのが趣味だったんです。だったら歌詞も書いてみない?ということになって。スカパラの集団としての思いや時代性も含めて一曲に込められたらいいなと作詞を始めた感じですね。
ナーゴ:改めて振り返ると、バンドとしての基礎を固められたあとで最初の“歌モノ”三部作が成功して今につながっているのはよかったなと思う。
茂木:でも、のちのちこんなに続くシリーズになるとはその時は思ってなかったですよね?
谷中:そう、コラボレーションはたまにやるかな、ぐらいに思っていたんですけども、今や毎年のようにやるようになって。
ナーゴ:最近はフェスで若手の人たちが僕らの楽屋に挨拶しに来てくれて「いつか一緒にやってください」と言ってくれることも増えた。それはめちゃくちゃ嬉しいですよね。
(構成/ライター・大道絵里子)
※AERA 2025年3月24日号より抜粋

