
ギリギリの推敲は上皇さま譲りのDNA?
一部のメディアで「愛子さまが課題レポートを締め切り日の23時台に提出した」という報道があった。
しかし、中野教授によると、感想の話と混在したもので、誤りだという。
「とはいえ卒論も、『すこしでもよいものに仕上げたい』と、締め切り日の直前まで推敲されていました」
ギリギリまで粘り強く文章などを推敲するのは、天皇家では時々耳にするエピソードだ。
平成の天皇に10年半仕えた故・渡辺允侍従長は、筆者にこんな話をしていた。
1994年当時に天皇だった上皇さまと美智子さまが、フランスとスペインを訪問した。外務省の儀典長であった渡辺さんは、当時の宮内庁長官から呼び出され、夜中の1時に宿泊先だった迎賓館に向かった。
すると奥の部屋では、上皇さまが同行記者団からの質問に対する回答を書いている。1問ずつ出来上がるたびに、美智子さまが部屋から運んできた回答の文書を長官と渡辺さんに渡し、「これでいいでしょうか」と確認をしていたという。
このときの2週間にわたる外国訪問はハードスケジュール続きで、その日の晩も遅くまで行事があった。疲れ切った上皇さまは、そのまま机に突っ伏して眠ってしまいそうになるのを我慢しながら、回答を作成されていたという。
「ぎりぎりまで精魂込めて推敲なさる両陛下(当時)のご様子は、忘れられないものでした」
と、渡辺さんは回想していた。
すこしでも良いものを――と最後まで推敲するのは、上皇さま譲りのDNAなのかもしれない。

「愛子さまも学び続けて」と恩師
そして皇室には、天皇陛下をはじめ、大学や大学院を離れた後もライフワークとして研究を続けている方が少なくない。愛子さまも、歴史や古典に関係する施設をたずねるなど、学びを続けようとする姿が伝わってくる。
「大学の4年間という短い時間で教えることができる学問の範囲は本当に狭く、ほんの入り口にすぎない」
中野教授はそう話す。学生たちには機会があるごとに、文学や和歌を受け継いでいくとはただ「守る」ということではなく、「今の表現や生活に生かすこと」と伝えてきた。
学んだ古典の知識は、社会人として仕事をする中で、形を変えて活かすことができると、中野教授は語る。
「愛子さまにはぜひ、自身の核となる学問を学び続けていただきたいですね」
(AERA dot.編集部・永井貴子)

