今考えても奇跡のような出来事
そういえば、俳優座養成所時代は愛川欽也さんと同期だったとか、かっぱちゃんとこの前ご飯したわと聞いたな、とかママの葬儀の時に喪服なのにものすごくエレガントでおしゃれなおばあさまがいらしたなとか(あれは規矩子さんだったに違いない!)、いろいろなことを思い出しました。
そんな義母は私が双子を出産したと同時に膵臓癌が見つかり余命3カ月の告知を受けながら、その生命力でそこから1年半がんばってくれました。すてきで面白い義母で、私の両親と出会った時からお互いに尊敬し合いものすごく仲良しで、双子の娘の名前を考える時に義母とうちの母の2人の名前をもらったほど。そして、双子たちが1歳半の時に亡くなった義母ですが、名前をもらった三女がなぜかいつも自分の勉強机に義母の遺影とおリンを置いていて時折チーンってしていて、いまでも義母は私たちの日常に存在していて。
果たして私が舞台に上がる日の朝、ふと「そうだママも連れて行こう」と思いたち、三女の机の上からちょっと写真を拝借して連れて行きました。そして開演前、俳優座劇場の中をうろうろしていた時に千田是也先生の銅像を見つけ、「上田公子、帰ってきましたー!」って先生にもご報告。そして本番中は真っ暗な舞台袖で写真を舞台の方に向けてそーっと置かせてもらい、私の俳優座劇場初舞台を見守ってもらいました。
ふふふ。なんて言ってくれてたかしら。「でかした、陶子!」って言ってくれたかな。
さて舞台のカーテンコール、当日突然、作・演出の樫田正剛さんが「話したいこと話していいよ。話したいことあるでしょ」と背中を押してくださり、その日の舞台の空気を一緒に感じてくださったみなさんに義母と俳優座と千田是也先生とのつながりからの不思議なご縁をお話しできたことは、今考えても奇跡のようなできごとでした。
まもなく俳優座劇場はその役割を終えて劇場としては使われなくなりますが、ここで演劇と共に青春を送った義母がいたことを実感できて、本当に幸せでした。ママの翻訳した本たち、もう一度読み直してみるね。
そんなこんなで不思議なご縁が巡り巡って私のもとにやってくる今日この頃、まもなく還暦を迎えようとしている今、人生ってほんとに面白い! と思えている自分がちょっと楽しいです。野生のトーコの不思議なご縁、そして人生の旅はまだまだ続きます。

