
フードロスが生じる一方で、食べることにも困窮する人たちがいる。枝元が貧困の問題に目を向けたのは、「ビッグイシュー日本版」との出会いが始まりだ。ホームレスの人の自立を支援する雑誌で、路上で販売することで仕事を提供している。
「困っている人にお金を渡すのではなく、仕事を作る。会社と販売者がフラットな関係で、システムも明快なところがいいと思ったのです」(枝元)
2004年にスローフード特集の取材を受けた際、「何か手伝わせてほしい」と話し、料理の連載ページを担当。販売者のイベントで料理も手がけた。ビッグイシュー日本東京事務所の佐野未来は、コロナ禍で開催した年越し大人食堂で料理を作る枝元の姿が心に残る。1日200食でも足りず100食以上増やすことに。枝元は「何とかします」と動じなかった。
「足りないから終わりじゃなく、来る人全員に渡るようにという気迫があり、しかも美味しくて体に良いものをちゃんと配りきるという姿勢は本当にすごいと思いました。温かいものを出してあげたいとポタージュスープを作り、ベジタリアン向けのお弁当もあって。食べにくる人がみんな元気にと、本気なんだな、と思いました」
長蛇の列が続き、子連れの人など女性も増えていた。若い女の子が泣いていると、枝元は肩を抱いて「これ食べなよ」と優しく話しかけていた。
コロナ禍で「夜パン」を開始 女性の居場所を作り出す
そのコロナ禍で2020年10月からスタートしたのが「夜のパン屋さん」だ。きっかけは前年の夏、ビッグイシューを支援する篤志家から寄付が寄せられ、「ただ配って終わるのではなく、循環するような使い方をしてほしい」と託された。
枝元が発案したのは、パン屋の閉店後に残ってしまいそうなパンを預かって、ビッグイシューの販売者を中心に販売すること。フードロス削減につながり、仕事も生み出せる。枝元はキッチンカーでの販売を思いつき、車を見に行った日に即決。販売場所を探していく中で、神楽坂の書店「かもめブックス」の軒先を借りることができた。
だが、肝心のパン屋探しは難航する。最初に協力してくれたのは、知り合いの「ビーバーブレッド」だった。それから神楽坂近隣のパン屋を一軒ずつ訪ね、飛び込みで営業するが、どこも断られてしまう。地元の老舗「ナカノヤ」の主人に、「ああ、いいよ」と言われたときは泣きそうだった。
新宿、白金、三軒茶屋……と足を延ばし、オープン当日には8軒の人気店のパンが揃う。「夜のパン屋さん」を知って遠方から買いに来る人もいて、参加するパン屋も少しずつ増えていった。
「パン屋にとっては、やってもやらなくてもどうでもいい種類の仕事だと思うんだよね。すごく儲(もう)かるわけじゃないし、パン屋としたら面倒くさいことでしょう。けれど、皆に良かったと思ってもらえることに変えていければ始めた意義があるはず。スタッフも販売者も自分事としてプライドを持つことができ、お客さんも喜んでくれたら、オルタナティブな在り方になる。『私たち、次のステージへ行ってるじゃん!』って」(枝元)