どう、この興味をひく「特集」の数々。どの号も読み応えあります! (撮影/谷川賢作)
どう、この興味をひく「特集」の数々。どの号も読み応えあります! (撮影/谷川賢作)
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今月のお薦めCD 『大田黒元雄のピアノ』1900年製のスタインウエイがこの
今月のお薦めCD 『大田黒元雄のピアノ』1900年製のスタインウエイがこの"くせ者”二人の手によって甦る(^^) 注 Apple musicには入っていません (撮影/谷川賢作)

 “スタジオジブリの好奇心”と銘打たれた月刊誌『熱風』のすばらしさについてはすでに書きました(ほめちぎ第39回参照)。毎号の“特集”の選択がタイムリーで、執筆陣も鋭い方々ばかりが参集しているのも凄いことなのですが、常時数本ある連載(時々休載になるものもあるのだが、それだけ取材と執筆に全力を傾注している証だと思う)も、どれもユニークで奧深くて、本当にこの充実ぶりはなにごとなの! しかも基本「非売品」でスタジオジブリに定期購読を申し込むか、あるいは全国でも40店舗ほどしかない、『熱風』取り扱い店で入手するしかないようだ。まいりました。礼!

 で、私が毎回固唾を呑んで食い入るようにして読んでいる連載が、佐藤剛さんの《ヨイトマケの唄》をめぐる旅~美輪明宏と中村八大、三島由紀夫が生きた時代~。

 この3人がこんな風に60年代前半当時、日常的にクロスしていたのか! という単純な驚きは不勉強な私だけなのだろうか? 三島さんが八大さん、丸山(美輪)明宏さんのコンサートに足繁く通っていて、6年ぶりの、ほとんどカムバックコンサートともいえるようなステージを終えたばかりの美輪さんに駆け寄り「これこそ歌だよ!君、大成功だよ。君の歌には土の匂いがあった」と祝福するエピソードに、まずは心動かされる。そして、そのコンサートこそは、美輪さんが直々に八大さんを「音楽監督」にと口説きに行き、美輪さんのオリジナル楽曲に感銘を受けた八大さんが、共に入念な準備の元に満を持して開催した、文字通り「起死回生」のコンサートだったのだ。(制作プロダクションにお願いする資金を集められなかった美輪さんは、ホールの確保からポスターの作成、チケット販売、出演者の交渉等すべてご自分でやられていたとのこと。)

 今回のタイトルは「職人の時代」を使ったのだが、この3人を「職人」という言葉でくくることに異を唱える方もいらっしゃるかと思う。しかし、ほめちぎ第47回でも書いたように、職人の必要絶対条件が「永遠の初心者」でいられる、ということだとしたら、“新しい日本の歌を作り育てる”という永遠の挑戦に心血を注いだ八大さんと美輪さんは、生粋の「職人」を貫き通した方々だと私は思う。美輪さんは今でも現役バリバリでコンサート活動をされていますが、ますます「職人=永遠の初心者」を醸し出しているようだ。

 そして、三島さんが若干26歳にして朝日新聞社の特別通信員として、半年間、北アメリカ、南アメリカからヨーロッパに派遣されていたという事実にも驚く。この時期に彼が吸収した異文化の報告書とも言える海外旅行記『旅の絵本』に、八大さんや美輪さんはじめ、どれほど当時の若者たちが影響を受けたことだろう。

 いくら書いても、力説しても、結局のところ佐藤さんのお書きになった、きちんと下調べをされた熱のこもった文章の引用に終始してしまうのは困りものなので、あとは皆さんご自身で連載をお読み頂きたい。ネットでなく、紙で読めるのがいいです。『熱風』万歳!
 とにかく今私が最も単行本化を熱望する連載である。
 さて、「職人」の私はというと(ん? 誰が認めたん。最近初心を忘れとらんかい、君の場合)今月も来月も、書きものに演奏旅行に、相変わらず疾走しております。でも、八大さんの忙しさから比べると、私の活動などまだまだ“よゆうのよっちゃん”

 NHKの今や伝説の音楽番組『夢であいましょう』が始まった時、基本的にすべてが生放送で、リハーサルと本番に三日間拘束されていた八大さん。「音楽監督」として、企画、打ち合わせから全体構成まで関与しつつ、作編曲はもちろん、すべての譜面を手書きで書かなければいけないだけでも大変なのに(コピー機すらなかった時代)その上なんと! 週に六日間銀座のクラブで夜の7時から12時まで、自らのトリオで出演していたという。

 中村八大って、パーマンのように二人か三人おったんちゃう?(汗)
 それで、挙げ句の果てにぶっ倒れてしまうのだけど、「充電期間」のアメリカであの「ゲッツ/ジルベルト」の歴史的なコンサートを生で観ていたのだそうな。アンテナ、ピン!ときたんだろうな、きっと。さすがとしか言い様がない。 [次回11/7(月)更新予定]