8月10日の西武戦、3対14とリードされた7回に5番手として敗戦処理のマウンドに上がった三井は、2イニングを5安打、3奪三振の2失点(自責点1)。8回1死、石毛宏典を通算382個目の三振に打ち取ったが、この試合が現役最後のマウンドとなり、同年限りで引退。28歳の若さだった。

「昨年後楽園球場で1セーブを挙げたのが、1軍最後の仕事になりました。いろいろありましたけど、やっぱり、病には勝てなかったんです」(週刊ベースボール11月22日号)。

 だが、日本人第1号の貴重な経験は、意義あるものになった。83年に日本人で2人目のトミー・ジョン手術を受けた村田は、三井の忠告を守って手術後はリハビリに専念し、85年に“サンデー兆治”として見事復活を遂げた。

 その意味でも、先駆者となった三井のチャレンジは、日本球界に大きな足跡を残したと言えるだろう。(文・久保田龍雄)

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