山内一弘監督は悩んだ末、「大バクチを打った」と、リリーフに三井の名を告げた。勝てば首位・日本ハムに1ゲーム差に迫る大事な一戦で、通算21セーブの三井に「三振を取ってこい」とすべてを託したのだ。

「ピッチャー、三井!」の場内アナウンスに、スタンドは一瞬虚をつかれてシーンと静まったが、一拍置いて大歓声が沸き起こった。ファンはかつてのリリーフエースの名前をまだ覚えていた。

 1軍復帰後、当分の間、短いイニングの中継ぎや敗戦処理が続くと覚悟していた三井も「こんな大事な、しかも勝ちゲームで出番が来るなんて」と復帰2試合目のストッパー指名に驚きながら、「それなら、期待に応えられるようなピッチングをしなくてはいけない」と意を決する。そして、「2点取られるのは仕方がない」と開き直って勝負した。

 最初の打者・服部敏和をカウント1-2から大きく縦に割れるカーブで鮮やかに三振に仕留める。この日のカーブは本人もビックリするほど落差があり、落ちる前に一度浮き上がってくるように見えるため、打者は「カーブが来る」とわかっていても打てなかった。

 三井は1死二、三塁から高代延博を遊ゴロ、代打・吉岡悟を左飛に打ち取り、無失点で切り抜ける。9回も1四球を許したものの、カーブ主体の投球で無安打無失点に抑え、3年ぶりのセーブを手にした。山内監督は「こんな大きな1勝はない」と大喜び。三井も「何と言っていいかわからないほど、うれしかったですよ」と感激しきりだった。

 8月26日の南海戦でも、三井は2対2の8回無死一塁からエース・村田をリリーフ。2回を2安打無失点に抑え、引き分けに持ち込んだ。

 同年は登板4試合で0勝0敗1セーブ、防御率3.00を記録。日本ハムとのプレーオフにも2試合登板したが、2年前の手術後、リハビリに専念すべき時期に焦ってトレーニングを開始したことが尾を引き、かつての球威は戻らなかった。

 さらに椎間板を痛めたことも追い打ちをかける。翌82年は手術した右肘をかばい、腰痛とも闘いながらの奮闘も報われず、登板4試合、0勝0敗、防御率7.50と結果を出せずじまい。

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三井が日本球界に残した大きな足跡