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一昨年のドラフト1位で入団した新人3投手が相次いでトミー・ジョン手術を受けるなど、今ではすっかり一般的となった肘の腱や靱帯の再建手術。1974年に世界で初めてフランク・ジョーブ博士の執刀で手術を受け、復活したドジャースの投手、トミー・ジョンにちなみ、その名が定着したのは、ご存じのとおりだ。そして、79年に日本人で最初にこの手術を受けたのが、ロッテの投手・三井雅晴だ。
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72年のドラフト2位でロッテに入団した三井は、高卒2年目の74年にチームのエース・村田兆治に匹敵する豪速球を武器に、6勝5敗4セーブを記録。チームのリーグV、日本一にも貢献し、パ・リーグの新人王に輝いた。
翌75年にも先発、リリーフで36試合に登板し、10勝8敗4セーブ。その後も76年4月14日の近鉄戦で5回参考記録ながらノーヒットノーランを達成するなど、若きエースとしてチームを支えた。
だが、78年の仙台遠征でカーブを投げた際に右肘を痛めてから、野球人生が暗転する。同年は登板12試合の1勝3敗2セーブ、防御率6.43、翌79年も登板6試合の1勝2敗、防御率8.50と成績を落とし、肘は悪くなる一方だった。
そして、同年10月、チームメイトのレオン・リーからジョーブ博士を紹介され、投手生命をかけて渡米。右肘軟骨を除去する手術を受け、再起を目指して必死にリハビリとトレーニングに励んだ。
1981年後期(当時のパ・リーグは2シーズン制)開幕後、2年3カ月ぶりに1軍復帰をはたした三井は、8月19日の西武戦、2点ビハインドの6回に3番手として登板し、1イニングを1安打2奪三振の無失点。まずまずの結果を出した。
さらに同24日の日本ハム戦では、“サプライズ”が待っていた。7回まで6対3とリードしていたロッテだったが、8回に先発・仁科時成、抑えの倉持明がつかまり、1点差に追い上げられて、なおも無死二、三塁のピンチ。もう一人の抑え・梅沢義勝は5連投になるので、休ませたい。