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 日本語は性差が目立つ言語だと言われています。

 芥川賞作家の李琴峰(り・ことみ)さんは最新著書『日本語からの祝福、日本語への祝福』(朝日新聞出版)の中で、日本語が蓄積してきた性差を詳しく紹介しています。

「ぼく」「わたし」といった人称代名詞から動詞の活用、終助詞まで、李さんが掘り下げた日本語の価値観を、本書から一部抜粋・再編集して特別に掲載します。

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 言語に組み込まれている世界観は、その言語の使い手たちが太古の時代にどのように世界を捉えてきたかを反映していることが多い。「天地(あめつち)」という語から分かるように「天」は「あめ/あま」と読めるが、「天からの水=雨」ということで、「雨」と「天」は同源であるという説がある。太古の人間は雷光が稲を実らせると信じていたから、雷光は「稲妻(いなづま)=稲の夫(つま)(古い日本語では夫婦や恋人の仲にある相手は男女関係なく「つま」と言う)」と呼ばれるようになった。「黄昏(たそがれ)」の語源は「誰(た)そ彼(かれ)=彼は誰だ」であり、日が暮れて空が暗くなり、相手の顔が見えない時に発されたこの疑問文は、転じてその時間帯(夕方)を指す語になった。「黄昏時」の対義語「かわたれ時」は「明け方」の意味で、語源は「彼(か)は誰(たれ)」である。新海誠(しんかいまこと)監督のアニメ映画『君の名は。』は「かわたれ時」の音を入れ替えて「片割れ時」という語を作り出し、「黄昏時」と同じ意味で使った。「かわたれ時」の語源「彼は誰≒彼の名は?」を考えると、「君の名は。」は実によくつけたタイトルである。

「黄昏時」と同じくらいの時間帯を指す言葉に、「逢魔(おうま)が時」がある。字面から「魔物に遭遇する時」と解釈できるが、語源は「大禍時(おおまがとき)=大きな災禍が起こりやすい時」である。古代の人たちにとって、日が暮れた宵闇は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が出始める禍々(まがまが)しい時間帯であることが、この言葉から分かる。「禍」と言えば、この言葉は「曲がる」と同源で、本来は「直(なお)」の対義語で「まっすぐではない」の意味だが、転じて「よくないこと」「邪悪なこと」「災い」の意味になった。

 現代の英語で「まっすぐ(ストレート)ではない」ことが「同性愛者」の意味になるが、「まっすぐではない」という性質を何かよくないとされる事象に結びつける発想は同じだ。それにしても、英語と日本語を合わせて考えると、「異性愛者=ストレート=まっすぐ」「同性愛者=曲がっている=禍」という構図になるが、まるで同性愛者は何か大きな災禍をもたらす恐ろしい力を持つ存在かのようで、なかなか愉快な発想ではある。邪神か何かだろうか。

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「〜か国語」は無理のある表現?