日本語圏においても中国語圏においても、男尊女卑の価値観は古くから支配的だったので、そうした世界観も当然言語に反映されている。夫婦の呼称において、日本語では妻は夫を「主人」と呼び、夫は妻を「家内」と呼ぶのはその例だ(あるいは他者の妻や夫を「奥さん」「旦那さん/ご主人」と呼ぶのも同様である)。中国語でも、妻は夫を「外子(ワイズー)(外で働く人)」と呼び、夫は妻を「内人(ネイレン)(家の中にいる人)」と呼ぶ表現が存在する。このような伝統的な性役割は近代的な男女平等の価値観にそぐわないということで、中国の中国語では一時期言い換え運動が起こり、妻も夫も男女関係なく「愛人(アイレン)(愛する人)」と呼ぶようになった(この用法は台湾の中国語にまでは普及していないため、中国特有の表現である)。
日本語は性差が目立つ言語であると言われ、男性と女性とで、用いる言葉は語彙(ごい)・文法面においても音韻面においても大きな違いが見られる。人称代名詞から、動詞の活用、終助詞に至るまで、もっぱら男性が用いるマスキュリンとされる表現と、女性が用いるフェミニンとされる表現が存在する。
すると、日本語学習者は葛藤しなければならないわけである。とりわけ日本語ほど性差が大きくない言語を母語とする人にとって、どこまで日本語の性差に順応するのか。日本語教育の場では、「動詞の命令形(走れ)と禁止形(来るな)は口調の強い男性的な表現なので、女性は使わないほうがいい」と教えられることがある(私もそのように教わった)。コミュニケーションのトラブルを未然に防ぐ観点からそういう教え方は理にかなっているが、別の観点(性差を押しつけているのではないか? 性役割を強化しているのではないか? そういう教え方で学習者は自分らしい表現の仕方を身につけることができるのか? など)からすると、必ずしも理想的とは言いがたい。当たり前のことだが、女性でも命令形や禁止形を使うことがある。
軍の中で女性の上官が部下に指示を出す時は命令形を使うこともあるだろう。仲のいい友人同士のざっくばらんな冗談やじゃれ合いで、命令形や禁止形が使われることもあるだろう。あるいはマスキュリンなジェンダー表現をするレズビアン(いわゆる「ボイタチ」)は、「僕」や「俺」といった一人称を使ったり、男性的な言葉遣いをしたりすることもままある。学習者が教科書的な原理原則を学び、実際の言語使用に接しては戸惑い、やがて自分らしく感じられる表現を育て上げるまで、往々にして長い時間を要する。
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