ジョー(左前)は人をその気にさせる名人で、トビー(右)は普段は笑顔のパートナー。でも、ディール(取引の交渉)になると、日本語はやめて英語だけで厳しく話した(写真/狩野喜彦)

 トビーと一緒に取材を受けている間、日本語が話せないジョーは、山道さんに同行していた日本取引所グループの女性と英語で談笑していた。物腰が柔らかく、M&Aの知識が豊富なだけでなく、相手の心を開くのが得意だから、任せておいた。

 人脈は、ビジネスに直接プラスになったというよりも、彼らが持つネットワークが大きな財産だ。誰かが誰かに山道さんのことを尋ねてきたときに「知っているよ。あいつはいいやつだから、話してみたら」と言ってくれ、輪がどんどん広がっていく。だから、紹介された人がくるときは、できるだけ会う。それは、自身のネットワークも広がるからだ。

『源流Again』の朝、ウォール街のニューヨーク証券取引所(NYSE)へもいった。米国野村にいたときもW&Pのときも、取引所へいくことはなかった。でも、2013年6月に日本取引所グループへ入ってから、NYSEとの関係は密だ。

 8年近く社長を務めた先物取引を扱う大阪証券取引所でも縁はあったが、その後の東京証券取引所の社長時代は上場投資信託(ETF)に関する取引のノウハウを教わって、東証でも取引を始めた。いま日本はようやく「貯蓄から投資へ」が進み始め、新旧の少額投資非課税制度(NISA)で、投資信託が身近となった。それだけに、この世界最大の証券取引所とETFを含めて連携を深め、日本人の資産形成の機会を増やしたい。

NYは海外での住処立ち位置が固まり家族一緒に暮らした

 ウォール街とともに、思い出が多いのが五番街だ。80年からフィラデルフィアの経営大学院ウォートン校へ留学していた間に長男が生まれ、米国野村のときに長女が生まれ、ニューヨークでは家族で暮らした。仕事が夜まで続き、週末も出社が多かったが、休みがとれれば五番街へも出てきた。日本から大事な取引先がくれば、案内した。

 久しぶりに街を歩くと、はっきりと思う。社会人としての立ち位置が固まったのは、このニューヨーク。ここが、自分にとって海外での住処(すみか)だ。ウォール街も五番街も、生まれ育った広島市に続く「故郷」だと言える。

 この街で流れ始めた『源流』は、国際人脈によって強さと広さを増し、次は日本での家計の資産形成の波に加わるだろう。(ジャーナリスト・街風隆雄)

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