日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年2月10日号では、前号に引き続き日本取引所グループ・山道裕己グループCEOが登場し、「源流」であるニューヨーク市を訪れた。
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野村證券にいたとき、世界の投資資金が運用されるニューヨーク市のウォール街を中心に5年10カ月、国際的な資金供給の場だったロンドン市のシティーで通算約9年8カ月。二つの金融・証券街で過ごした年月は、就職で抱いた「インターナショナルなビジネスマンになりたい」との夢を、十分に実現した。
原動力は、資金調達を仲介した公的金融機関の首脳陣たちとの間で得た信頼関係であり、第一級の金融・証券マンたちと築いた世界人脈だ。とくに、1988年9月から89年暮れまでいたM&A(合併・買収)の仲介会社ワッサースタイン&ペレラ(W&P)での1年5カ月は、忘れられない。野村證券も出資したW&Pへ出向し、すごい仲間に囲まれて過ごす。彼らはウォール街やシティーで活躍し、夢を支え続けてくれた。
企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。
昨年10月初め、世界人脈を築いたニューヨーク市を、連載の企画で一緒に訪ねた。マンハッタンの五番街と六番街の間の西52丁目を歩くと、「ここだ」と足が止まる。北側の建物の入り口の上に「西52丁目31番地」とある。山道裕己さんがビジネスパーソンとしての『源流』が勢いよく流れたとする日々を過ごした、W&Pがあったビルだ。
投資銀行出身の2人ブルースとジョーがすごい面々を集めた
出向するまでの4年半は、ウォール街に近いメイデン・レーンにあった米国野村にいた。首都ワシントンにあった世界銀行傘下の機関や住宅ローンに保証を付ける金融機関へ通い、「サムライ債」と呼ぶ円建て債券による資金調達を仲介した。
米国の有力投資銀行にいた著名な2人、ブルース・ワッサースタイン氏とジョー・ペレラ氏が88年2月に独立し、ある日本の銀行と野村證券にW&Pへの出資を求めてきた。2人は結局、野村證券を選び、野村から5人が派遣される。その一人で、上から2番目の課長級だった。ビルを見上げて、振り返る。