元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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 元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】還暦でも当面はアフロでいく 美容室での貴重なショット

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 さて、この号が発売される頃には私、晴れて還暦を迎えております。おんとし60歳! いやー若い頃は60の自分がどんなふうになっているかなんて想像もつかなかったが、なってみれば何というかフツウだ。悪い意味で小学校時代と変わってない。お調子者でカッコマンゆえ恥を恐れて結局失敗するタイプ。三つ子の魂百までとは本当だった。

 だが改めて考えたら変わったことも多々あり、一番大きな変化はカネとモノへの執着がなくなったこと。今や「質素」を好む人。自分でもビックリだ。だってリッチな自分を目指してずっと頑張ってきたんです。でも実は「持たないこと」で自分でも気づかなかった内なる力が次々表に出てくるという手品みたいな現実に気づいてしまった。

還暦だがまだ当面はアフロでいこうかと。メンテして下さる美容師さんのおかげです(写真/本人提供)

 これは実に巨大かつ好ましい変化で、何しろ私は老後不安が一気に消滅した。だって老後不安って結局は「今持っているものを失うこと」への不安なわけで、でも私は今や、失うことの大いなる可能性を知っているのである。

 で、なぜこのような素晴らしい境地に達したのかといえば、原発事故後に始めた超節電生活も大きかったが、何より50歳での早期退職が決定的だった。「電気」だけじゃなく「給料」という、現代人が生きるのに不可欠と思われている供給を断った衝撃でめちゃくちゃジタバタしたわけですが、その甲斐あって「質素」という永遠の鉱脈を掘り起こした。結果、むしろ生活は前よりずっと豊かに、面白く、幸福になった。私は救われたのだ。

 ってことで、もし会社を辞めてなかったら今ごろ同僚に花束などもらって送り出され、でも内心では今後の人生に不安しかなかっただろうなと思うと感慨深く、あの時エイヤーと決断をした自分を自分で褒めたい。

 でも一方でこうも思うのだ。人生はいつどう変化するかわからない。変化に立ち向かう気持ちさえあれば、決断が早いか遅いかはさしたる問題ではないのだろう。「大丈夫、何とかなる」。会社を卒業する全ての人にそう伝えたい。

AERA 2025年2月3日号

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