哲学者 内田樹
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 阪神・淡路大震災から30年が経った。30年前の1月17日、私は芦屋の自宅で布団の上に倒れてきた箪笥に顔面を強打されて目が覚めた。12歳の娘と二人暮らしだったので、娘の部屋に飛び込んでいった。家具はほとんど倒れていたが、ベッドの上に娘が座り込んでいた。「ああ、無事だった」と娘を抱きしめた。その時の安心感があまりに強烈だったので、それ以後の出来事は実は記憶にあまり残っていない。

 翌朝、近くの公衆電話が使えると聞いて、列を作って順番を待った。そのときコートを着て、バッグを手にした男性が列の横を通った。バスが来ないので、徒歩で通勤するつもりらしかった。その時、トラックが坂を上がって来て、窓から顔を出したドライバーが「駅に行ってもダメだよ。芦屋駅、ないから」と告げているのが聞こえた。

 電話を終えた後に娘を乗せてバイクで芦屋駅まで行くと、たしかに駅はつぶれていて、駅の南北ではビルが真横に倒れて道を塞いでいた。その時ようやくとんでもない天変地異が起きたとわかった。平時から非常時への頭の切り替えは容易なわざではないのだ。

 翌日から毎日、小学校の体育館からバイクで大学に通って、瓦礫を片づける土木作業に従事した。作業に来た教職員はほとんどが彼ら自身が被災者だった。遠方に住んで震災と無関係だった教職員はあまりキャンパスには来なかった。中には「土木作業のために給与をもらっているわけではない」と言って、研究室が使えるようになるまで一度も大学に来ない教員もいた。それ以後、彼らが教授会で何を発言しても、私は一切信じないようになった。

 学生ボランティアも体育館にやってきた。善意で来てくれているのだが、何をしていいのかわからなくて右往左往している。よほど暇だったのか、ある日校庭でサッカーを始めた。「君たちは何をしに来てるんだ」という言葉が喉元まで出かけたが、自制した。彼らだって何をしていいか分からず困っているのだ。「ボランティアというのは本質的にミスマッチである」ということもこの時学んだ。震災では多くを失ったが、同時に多くを学んだ。

AERA 2025年2月3日号

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