国会前でスピーチをする坂本龍一さん=2015年8月30日、東京・永田町
国会前でスピーチをする坂本龍一さん=2015年8月30日、東京・永田町
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 3月28日、音楽家・坂本龍一さんが永眠した。享年71。がんを公表しながら最期まで音楽をつくり続けていた。坂本さんと新宿高校の同級生だったフリーライターの馬場憲治さんに聞いた。

【坂本龍一さん、写真の続き】

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 フリーライターの馬場憲治さん(71)は、1968年、都立新宿高校の2年生のクラス替えで坂本龍一さんと同じクラスになった。べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の活動に興味があった馬場さんが通学かばんに「ベトナム戦争反対」と書いて登校していたら、坂本さんからビラを手に話しかけられたという。坂本さんは「ピアノがすごくうまく、音楽教師が勝てないらしい」と噂される存在だった。

「とにかく本を読めと言われた。言われるままどんどんかたっぱしから読みました」

 吉本隆明、埴谷雄高、マルクスの『共産党宣言』……坂本さんと馬場さんは、社会問題についても議論するようになった。

 ふたりが高3になった69年、文部省(当時)が高校生の政治活動を実質的に禁止する見解を示した通知「高等学校における政治的教養と政治的活動について」(「69年通知」)を発出。馬場さんらは受験偏重教育の廃止や政治活動自由化を要求し校長室に突入し、校長を軟禁し内側から封鎖した。その場には同級生の塩崎恭久元官房長官もいたという。

 塩崎さんは学年ではひとつ上になるが、1年休学しての米国留学から帰国後に、坂本さんや馬場さんと同級生になっていた。塩崎さんが留学先から持ち帰った海外の最新のレコードを坂本さんに聞かせたとインタビューで話している(朝日新聞〔愛媛版〕2023年4月7日朝刊)。

「塩崎は最初からいたが坂本は遅刻してきた。校長とやりあっていた所にコンコンとノックして入ってきた。後で聞くと『お母さんが起こしてくれなかった』らしい(笑)」

 この結果、制服制帽の自由化や試験の廃止など、7項目の要求がほぼ認められることとなった。

「退学になったらどうするかという話をしたが、塩崎はアメリカの高校を出ているし、坂本と僕は大検(大学入学資格検定)でも受ければいいか、という感じだった。塩崎は浪人、僕は受験するかどうかということも迷っていたのに、坂本だけ現役で東京芸大に合格(笑)。のけぞりました」

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