奥村から見たイチローの特徴は、バットがムチのようにしなって出ることだった。外角の球でもフォームを崩しながら打っても、打球はすごい勢いで飛んできた。その打球の速度は外国人選手を超えていた。
「イチローは体格に恵まれていないから、1軍で活躍するために強い打球を打とうとして振り子打法を考えたと思います。自分の体重をボールに乗せる。そのため人よりもボール1個前でミートすることになる。遅いボールが来ると、我慢できなくてひっかけてしまうこともあるから、前の足を泳がないようにしていました」
イチローがシーズン200安打を達成した日、奥村はケーキをプレゼントした。イチローは「ロッカーで奥村さんにもらったケーキがいちばん嬉しかった」と言ってくれた。
奥村はその後、少年野球チームの宝塚ボーイズの監督を務め、田中将大ら多くの選手を育てている。
奥村の後、イチローに投げたオリックスの打撃投手たちも、取材でイチローは本塁打王になれるパワーを持っていると答えてくれた。イチローの打撃は力が無駄に分散されず、インパクトのときにすべての力がバットに乗り移るので、打球が面白いように速く、遠くまで飛ぶ。
「本塁打を打つ気になったらいくらでも打てると思います。本塁打に徹すれば松井秀喜より打てると思います」
彼らに共通する見解だ。メジャーリーグに移籍してからも、イチローに投げた日本人打撃投手がいる。中日ドラゴンズの打撃投手だった坂田和隆である。彼は2008年からイチローのオフシーズンの打撃投手を務めた。冬場、イチローは日本の球場で練習するが、1時間ほどの打撃練習で、50本から60本の柵越えを放ったと語ってくれた。この本塁打数は尋常な数ではない。
イチローの偉大な成績は、一流の打撃投手との二人三脚の中で生まれて行ったのである。
改めてイチローが本塁打王争いをしていた1995年当時のビデオを見ると、彼の本塁打は、弾丸ライナーで観客席の中段まで届くものもあれば、高々と舞ってゆっくりと右翼席上段に落ちるアーチもある。しかもグリーンスタジアム神戸は、両翼99.1メートル、センター122メートルと、当時の福岡ドーム並みの広さを持つ。そこで軽々と中段から上段席まで届く打球は、並の長距離打者では打てるものではない。
ホームランバッター・イチローを実感した瞬間だった。