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 村上春樹さんの作品は世界的に人気を集める一方、作品に登場する女性の描き方について批判されることもある。識者はどう見るのか。日本大学文理学部教授・武内佳代さんが語る。AERA 2023年4月17日号の記事を紹介する。

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 男性に都合のいい女性ばかりが登場するという批判は、村上春樹の作品にはついて回りますし、苦手だという方も多いでしょう。特にフェミニズム批評をする人たちは批判的です。実際、私も少し苦手でした。確かに主人公の「僕」に、やたらと性的なアプローチを仕掛けてくる女性が多く登場します。でも、実はその女性たちについてかなり細かい設定がある。そこに気が付いてから作品を読み直すと、印象が変わってきました。

 村上作品には、意外と女性が「今どういう状況で生きているのか」が描かれていて、そこから日本の社会構造が立ち上がるようにも読めるんです。

 たとえば、主人公の「僕」ことワタナベをめぐる性的描写の多い『ノルウェイの森』。ワタナベと同じ大学の小林緑は、彼にやたらとエロティックなことを言ったり、甘えたりする変な女性です。ただよく読むと、彼女は今でいうヤングケアラーとして描かれていることがわかります。

 緑は脳腫瘍で入院している父親の看病のために、大学の授業の合間をぬって週4日は病院に通い、寝不足気味でもある。その2年前には母親も同じ脳腫瘍で亡くしている。その緑がワタナベに「お父さんは去年の六月にウルグァイに行ったまま」だと話をするシーンがあります。のちにそれが嘘だとわかり、ワタナベは唖然(あぜん)とする。でも、緑がずっと看病生活をして自由がないとしたら、せめて父親がウルグァイに行っていると思いたい気持ちや、性的なことを口にして心のガス抜きをしたい気持ちは、理解できてきませんか?

 もう一つ例をあげると、短編集『一人称単数』に収録されている「石のまくらに」に、若い素人歌人の女性が登場します。「僕」と同じレストランで働いているその女性は、店をやめることになる。以前は「小さな不動産会社で働いたり、書店員をしていた」けれども、どの職場でも上司や経営者とうまくやれなかったとあります。そしてレストランでは誰ともぶつからなかったものの、給料が安すぎて、「何か新しい仕事を探すしかない」とも語っています。

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