でも、父が求めた「なぜ叱られたのか、自分の頭で考える」ということは、父の設計にある合理性の尊重とともに、のちに慶應義塾大学で研究者の道を進んだときの基本姿勢だった。

 父が祖父母の家の敷地の一角に住まいを建てたのは、姉に続いて自分が生まれるころだ。両親と姉妹3人の6人家族。実家の屋内へ入ると、まだ鉄の梁があった。クリスマスのとき、ツリーを飾る場所がないので、この梁に飾りを付けた。

 隣で暮らしていた祖父は機械工学者で、東京都立大学の教授などを歴任。父は東京工業大学や東京芸術大学の教授を務め、教授が2代続いた遺伝子が自分にあったのかは、分からない。2人は、全く違うタイプだ。

 祖父は明治生まれの謹厳実直な人で、刻苦勉励して頑張るのがいい、とした。父は朝、自分が学校へいくときは寝ていて、夜は原稿を書いてもいたが、ぼーっと考えごとをしていることがあった。

 子どもの目には「いったい何をやっているか」と映ったが、母は「お父さまはああいうふうに考えているときが、一番、お仕事をなさっているときなのよ」と言っていた。いま思えば、頷ける。

 再訪の日、実家から歩いて数分の母校、大田区立池雪小学校のそばまでいった。1年生から3年生までの担任は女性の優しい先生で、何でも受け止めてくれた。4年生からは男性の厳しい先生になったが、理屈っぽいこちらの疑問に対して丁寧に説明してくれて「自分の頭で考えてもいいのだ」と思わせてもらう。2人の先生と接した6年間は、忘れたことはない。

人間臭くて面白い人々が働くことと企業が雇うことの分析

『源流Again』で、東京都港区の慶大三田キャンパスも訪ねた。青空の下、学内の随所にあるイチョウの黄色い葉が美しい。小学校を卒業して青山学院の中等部へ進み、高等部から慶大経済学部へ入り、3年生からこのキャンパスへ通った。

 島田晴雄助教授(当時)のゼミへ入って、労働経済学を勉強した。経済学は数式の固まりでも、労働というのは人間臭さがある。人々が働くことと企業が雇う行動を経済学的に分析するのは、とても面白かった。

 4年生のとき、島田先生の姉弟子の佐野陽子教授が三田キャンパスにある産業研究所で、日本企業が社員を海外のビジネススクールへ派遣する実態調査をしていた。その調査をする大学院生に付いていって、記録係をした。そこから卒業論文を書く。

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年金の受給資格と高齢者の働き方でうれしかった発見