マレーシアの富都(プドゥ)地区。兄アバン(ウー・カンレン)と弟アディ(ジャック・タン)は身分証明書(ID)を持っていない。兄はろうあのハンディを抱えながら市場で堅実に働くが、弟は裏社会とつながっている。そんなあるとき、事件が起きて──。厳しい現実を生きる兄弟の姿を描く「Brother ブラザー 富都(プドゥ)のふたり」。俳優のウー・カンレンさんに本作の見どころを聞いた。
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マレーシアにはIDを持たない人々が約30万人いると言われています。彼らは就労や保険加入など当たり前の人権を享受することができません。私は台湾出身なのでアバン役を引き受けるまでこの問題をよく知りませんでした。マレーシアは東南アジアにおける地政学的な理由から多くの出稼ぎ労働者が入国し、違法で理不尽な扱いを受けています。そんな彼らがこの国の産業を支えていることを本作であらためて知りました。
アバン役は自分の人生経験にまったくかぶるところがない難しい役でした。毎日ひたすら市場で鶏を屠畜する彼の人生を肌で感じたいと撮影の2カ月前に現地入りし、市場でアルバイトをしようと考えました。クルーは難色を示しましたが、私は市場で直談判したんです。店のオーナーが中華系でOKをしてくれて、3週間ほどでかれこれ100羽以上の鶏をさばきました。撮影で身につけているエプロン代わりのレインコートはそのときのものです。マレーシア語の手話を覚えるため現地のろうあ者たちと交流もしました。この街でどんな人々が肩を寄せ合って生きているかをリアルに見せることができていたら嬉しいです。
世界のさまざまな国や地域で、人々が絶え間ない努力を重ねながら日々を生き抜いています。ただご飯を食べるため、綺麗な水を飲むため、安心して寝られる場所を確保するために生きている。そしてこの兄弟のように自分だけではなく、誰かの面倒も見ているのです。どんなに過酷な状況でも人は人を思いやるという美しく無垢な気持ちを保つことができる。それは文化や地域や民族を超えて最もシンプルな生きるための原動力になると思います。ジン・オング監督は本作でそんな人間の原点を問い直しているのだと思います。
(取材/文・中村千晶)
※AERA 2025年1月27日号